高市大臣を今すぐ解任すべきである
一行政文書に記載された高市元総務大臣へのレクはあったか、なかったか。
元総務大臣は、「自分へのレクなどなかった」そして、「レクが存在したなら閣僚も国会議員も辞める」と国会で断言した。
このため、行政文書が現総務大臣によって「精査」されることになり、行政文書に記されている関係者への聞き取りなどが行われ、「大臣へのレクは、あった可能性が高い」と認定された。
なぜ可能性の話になるかというと、本人が認めないからだろう。
周りがどれだけ「レクはあった」と言おうが、本人が認めない限り、録画や、録音がないのであれば100%の可能性などありえない。
だが、高市元総務大臣、本人の認識は、少なくともこの精査において関係ないのである。
元大臣が無かったと言うから、行った精査なのに、元大臣の無かったという認識で、レクがあったか、なかったかの判定が変わるなら、そもそも精査する必要がない。
これは予想されていたことだが、精査では、レクがあったという判断になりつつあるとわかると、最初の「レクの存在」から、「レクの内容」が自分の認識とは違う=レクがない、と言い出した。
このレクが存在したかどうかの記憶が定かでないというなら、まだ良かったのだ。もしもレクがあったかどうか覚えていないが、レクの記載内容が彼女の認識とちがうというなら、認識と内容がどれほど違うのか、という話になったと思う。
だが、出来事が合ったか、なかったかも覚えていなかった人物の、出来事の内容に関する記憶など、どれほどの信頼性があるだろうか?
もはや、自分の付いた嘘をごまかすため、次の嘘で塗り固めているとしか見えない。
彼女は「自分の記憶が不確かな出来事であれば、出来事自体、存在しない」と断言する、誠に出鱈目、かつ不注意な人物なのだろう。
そのような人物でも国会議員になった限り、そしてどんな人物でも、国会議員になるくらいだから、支持者はいる。だから進退は本人が決めるだろう。
だが、このような出鱈目な人物を閣僚という重責に、これ以上置いておくべきではない。オフレコでの発言を正直に認め、謝罪した官僚を断罪したのに、元々録画や録音などないと想定して、延々と自分に都合よい解釈と答弁を続け、行政文書という記録の真偽と、それに携わった自分の部下たちを批判し続ける大臣が、のうのうと居座っては、全ての官僚にも、閣僚にも示しがつかないだろう。
岸田総理自ら、判断すべきである。
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