本当に立憲の行く末が心配だ 3
すでに立憲民主党という政党への関心は極端に薄れているのだが、大阪知事にも市長にも党として候補者を擁立できず、あろうことか自民党との共闘という形で、維新の候補者と戦うこととなり、圧倒的に完敗する一方で、国政では維新と共闘とか未だに考えている時点で、もはや党全体としての存在意義をあらかた失っているのである。
なぜなら、それなら自民党を支援してる方がマシだからだ
共産党の議員が言ったという「維新は自民より危険な政党だ」という見立てに私はずっと同感だ。
現状の憲法審査会のあり方を憂いている議員は、立憲民主党に多いはずなのだが、そこで真正面から党として異を唱えず、むしろ同じ方向を目指している人が立憲民主党の中枢に少なからずいる。
維新とそこまで政策が似ているなら、そもそも立憲民主党なんか支持する必要がまったくないのである。まだ自民党のほうがマシなのだから。
いや基本理念が違うというなら、政策ごとに個別に共闘すればいいだけだろう。
大阪市民や府民は、なにか目新しいモノが好きであり、物事をじっくり真面目に突き詰めて考えることはあっても、それを他者と議論し共有するのは苦手なのだと思う。「真面目な話はしんどい」のだ。そして昔ながらのVS東京思考が、おそらく地元に長く根付いているが、あまり地方にいったことのない、大阪で生まれて、大阪で生きていくといったタイプの人に多く、大阪発の地域政党とか、大阪都構想とかいう、大阪一番 みたいなノリがずっとあるのだ。
おそらくIRも、大阪で日本で一番最初の公営賭場ができるんやでーーっ 博打だけやないで、子供連れでも行けるところなんやで! (風俗も盛り上がるでーーーっ!) もっとも国際会議とか真面目な会議もやるねんでっ、どや、大阪すごいやろっ!!
という程度のノリなのだ。 私は根っからの大阪生まれだが、関西弁がおかしくなってるのは、地元に長くいなかったからだ。だが、だからこそ維新のノリの危険さがよくわかる。
大阪万博のテーマが「命輝く未来社会」というのは、笑ってしまう。本当に意味がわからない。
何かやりたい、目立つことしたい、大きいことしたい! なにかやらかそう!! オリンピックがダメなら万博だと、思い浮かんだのだが、一体何をテーマにすればいいのか具体的なものなどなかった。元々の理念など彼らにあるわけがない。とっても軽い学生のノリ、あるいはお金持ちのボンボンのノリなのだ。
理念があって、それを形にしたいから万博をやるのではないのだ。まず、ともかく万博がしたかっただけだ。
ポビドンヨード入りうがいをすれば信じられないですが、コロナ予防になります! 陽性率が下がりましたと、知事がわざわざ会見してしまうぐらいなのだ。試験にいくら強かろうが、詭弁が得意だろうが、弁護士がサイエンスに強いわけではない。最初から嘘みたいな嘘の話だっただけだ。
今思い出しても、意味不明だったのが、一体何のために通天閣をコロナ信号機にしたのだろう? あれみてマスクが増えたとか、ワクチン接種が増えるとか、飲み屋の客が怖くなって早く帰るとか、ホンキで思っていたのだろうか。ただマスコミが取り上げやすかっただけだろう。
とすっかり立憲民主党のことなんか忘れてしまうほど、維新はスゴイのだが、そんな政党と同じ野党だと言うだけで共闘したくてしかたがない、立憲の行く末が心配になるのも当然だろう。(つまりは、希望の党と変わらんということで、その時点で立憲民主党の存在意義が問われているわけだ。)
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私には、書いてることはほとんどカルト宗教のお題目にしか思えない。
「いのち」といちいちひらがなで書いているのは意味などないだろうが、気持ち悪いとだけは言っておく。ぶっちゃけ経済効果のことしかだれも頭にない。もっともこれに参加できると喜んで真面目に取り組んでいる学生さんたちもいるので、あまり悪くはいいたくないが、こういうお題目を並べて、「いのち」を高らかに謳い上げる万博を行った後、残るのはIRという、公営博打を中心に据えた、巨大な大人の遊び場である。
こういうシンプルな矛盾、お題目と本質の乖離が気持ち悪くて仕方がないと感じ取れるのは、本来の大阪人のアイロニーだと思うが、そういうのはもう、吉本の低俗な笑いで完全に毒されてしまったのだろう。上岡龍太郎がいたら、なんと言っただろうか。
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