蓮舫氏の弱点
こんな事をいちいち説明するのは、本当に悲しいことなのだが、結局この国は、たとえ帰化、もしくは日本国籍を選択した人であっても、相手がアメリカ系白人の血でもない限り、まして東アジア系(いや、もっとはっきりいうと、韓国系、中国系、台湾系、ほとんどすべての、私達と本来遺伝子レベルで一番近い人達なのだが)の帰化された日本人を、首都のリーダーに選べるほど、国民の意識は開かれていない。
しかも、それが野党系候補なら、勝利できるわけないだろうが。
もしも、立憲民主党が、(旧民主党でも良かったのだが)たとえば国政で与党となっていて、いわゆる保守側から、右からのパッシングがあろうが、政権を維持していたなら、それが可能なら国民の思考も、変化したということだろうから、蓮舫氏が知事という選択もありえただろう。
アメリカの民主主義が、あるいはイギリスもだが、すごいなと思うのは、すでに容姿とも完全に、黒人系のオバマ大統領が、そしてインド系のスナク首相が、選挙で選ばれて誕生したという事実である。
誠に、口に出すのも憚れるが、もしも白人系(特に、ロシアのウクライナ侵攻以降は、アメリカ人、あるいはイギリス人、フランス人、など、欧米といわれる国々の)混血であり、かつその容姿を持つ日本国籍を持つ女性政治家が、仮に野党系候補で出たなら、そしてほぼ全てにわたり同じような主張をしたとしても、蓮舫氏よりもずっと、当選確率が高かったろう。
もちろん、それだけが理由でないと、絶対に言うだろうが、実のところ、それが一番大きな理由で、首都の知事には選ばれないし、本来不必要なほどのパッシングを受けるのも、結局、日本人有権者の多くは、間違いなく、白人系以外の他民族(特にアジア系、あるいはきっと、アフリカ系も)日本人が、この国の政治的リーダーになることを拒絶している。
すなわち、今回都知事選で勝利するには、絶対に蓮舫氏では無理だったと、言うのが、一人の有権者が考える単純な事実であり、その理由は、結局は、民族的な日本人のリーダー感に起因している。
そして、私はそれがどれだけ合理的でないとわかっていても、その民族的視点は、今の国際情勢ならば、完全に間違っているとも、断言しきれないのだ。それは民族的な自衛本能と呼ぶべきだろう。
なぜなら、様々な国家が、自国中心主義、自国民主義へ傾いていくほど、その自国民主義は、元々その国家を構成した’(その国家の構成主体となった)民族中心主義へと傾いていくのを防ぎようがないからだ。
日本の場合、この民族主義も、かなり捻れているので、(敗戦によって、あるいはアメリカの熱心な教化によって) 白人系>>アジア系(日本人以外の)という、実にわかりやすい選民意識が、特に、異性のリーダー評価で顕在化することも多いだろうが。
蓮舫氏が、東京都知事に選ばれるなど、少なくとも今の日本、そして今の東京で、元々、絶対にありえなかったのである。それでもあえてチャレンジしたというなら、これだけ多数の票を獲得したことを、むしろ蓮舫氏と支援者は誇るべきだろう。
それほど、日本人の’特に、現在投票権を持つ主要な年齢層における国民の、アジア系他民族に対する選別意識は、Noteも含めたネットや動画サイトで見られる言論や投稿で、数年前よりもはるかに強化されているし、それを望んだ者たちが、この国の政治を引っ張ってきたということだ。
実際、それは恥ずべきことであり、本当に嫌な時代になったとしか、言いようがないが。
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帰化という言葉が、蓮舫氏には適切でないかも知れないとは思っていたが、
かつてのデマについての記事があり、それにも帰化は正しくないと書かれていたので、私も訂正しておく。
だが帰化でなく、国籍選択であっても、自分の考えは何も変わらない。まさしく蓮舫という名であり、タレントとしての芸名であり、同時に台湾という自分自身が大切にしているアイデンティティーを明確に示している。
蓮舫氏が都知事選に出るまでは国会議員であったように、何の活動をするに、特段の不自由はなくとも、(むしろ強みである場合もきっとある)、現代日本で首都の知事として選ばれるには、あまりに大きな壁になるということであり、出馬表明した時から、蓮舫氏が小池氏に勝利する確率など、殆どなかったと私は思っていたし、その最大の理由が、台湾というアイデンティティーであり、もしも蓮舫氏が勝利する世界線があるなら、それは、保守、愛国政治家としてのみ、可能であったろうというのが、私の意見であり、それは立憲民主党、共産党が推薦する候補として、出馬が決定した直後に感じたままである。そんな予想はもちろん外れてほしかったが。
あと、私なりの公平を担保するために言うと、全く同じ事は、韓国でも中国でも台湾でも言える。つまり、韓国で、日本国籍からの帰化大統領や、ソウル市長が選ばれることなど、(仮に候補者が存在したとしても)ありえないと思う。だから東アジアでは、日本が特別ではないとうのは、紛れもない事実であり、日本だけがいきなり、民族主義から脱却できるとは到底思えない。
(目指すべきかどうかは、個人的希望なら、民族主義からの脱却を目指したい。だが、実際問題、他国との兼ね合いを考えざるを得ないだろう。)
他国のアイデンティティーも持つ人たちが、様々な国で、政治的リーダーになれる東アジアなら、それはEUのような、地域での大きな枠組みが、東アジアにすでにあるという状態ではないか。
残念ながら、まったくもって現時点では、考えられないだろう。そんな時代が来るのではないか(来ればいいのに)と、20年前の私は漠然と想像していたけど。
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