手法と目的を混同するクズ達へ

街頭の公共物でなくとも、自分に管轄権がない場所に、管理権限を持つものの許可なく勝手にシール、ポスター、チラシ等貼るアホは間違いなく迷惑な奴であり、仮に複数で計画して行なったなら、その集団は何らかの罰を受けるべきだと、私は思う。もしもそんな行為を禁止し、実行者を処罰する法律がないなら、すぐに作るべきだろう。

もちろん、バンクシーの絵にどんな思いが込められていようが、誰が評価しようが、何を風刺していようが、前もって許可を得ようとしない作品発表の手法を、私という個人は評価しない

バンクシーの作品は特別という、その特別など、一部の感性にすぎない。たとえば、一部の人にとっては、幼児による男性器の落書きが適切であり、特別であると、考えることは何も不思議ではないからだ。

私にすればそんなもの、もしも自分の居住地区に、勝手に書かれると当然迷惑だし、それがたとえばバンクシーだろうが、不良のスプレー落書きだろうが、どれだけ自分にとって楽しめる作品と思ったところで、自分が管理できない場であるなら、それを認めるべきじゃないと思う。

まして、独裁国家ではなく、民主的選挙を通じて政治を変えることができる日本で、公共物に、一文字のシールをべたべた、人目がつくよう貼り付けることに、何の意図があろうが、ただの迷惑なヤツラでしかない。

オマエの家で、あるいはオマエが住むアパートやマンションの扉で、で、(まぁ、大家に相談する必要はあるかも知れないが)、あるいは、所属する会社、職場で、ちゃんと許可をもらって、すきなだけ、シール貼ってりゃいいんだよ。迷惑なバカ野郎

もちろん、ビラ配り、掲示の許可をもらってのシール、ポスター貼り、あるいは、プラカード掲げてのデモ、あるいは自らの服に書かれた、描かれたメッセージ性のある文字や、絵で、様々な主張を訴える行為は、個々の有効性はともかく、真っ当な運動であり、何ら批判される類ではない。

それでも、どこまでが迷惑行為なのか、その線引きは難しいから、結局最後は、個々のケースで語るしかないのはわかっているが。だからこそ、原則、最初の線引きが、一番重要だろう。

たとえば、公園や、公道、そしてそこにある公共物に、勝手にシールやポスターを貼るなという原則であろう。また、何らかの許可が取れたとしても、他者がそれを拒否することが難しいなら、誰かにとってはOKで、誰かにとっては不快である可能性は、常にある。それは、自分の物差しで、合否を決めるべきじゃないと、私は思う。

だからこそ、完全なプライベートスペース、住民合意の上の商業(もしくは、自由に使える)文化的スペース公共スペース明確に区別すべきというのが、私の持論だし、適切だと自分が考えるゾーニングを、私は自分に課して、様々な個人的活動を行っている。

一方で、仮にそれが現在、噂になっているように、ある候補者のイニシャルとして流通し配布されたものだとしても、他者が迷惑と感じるような場所に貼ることを命じたり、お願いしたのでなければ、候補者が謝る必要など、どこにもないし、その候補者を支持し応援した、そして今もしているであろう、多くの人たちのイデオロギーや政治目的を、直接的関連がない迷惑シールにかこつけ批判しているヤツラは、どうしようもないクズで低能クソさダメさ加減は、ベクトルの方向が違うだけで、その強度はシールを貼ったヤツラと同類、じゃないかと、私は考えております。

いかなるシールであれ、無断で公共物に貼り付けるなそれだけであり、ただの誹謗中傷を、平気でやっているクソ野郎と、そのクソ野郎の政治的イデオロギーは無関係なのと、同じである。

後この手の問題の殆どは、自分の身に置き換えさえすれば、善悪が判断できると思うんだが。たとえば、自分が毎日訪れる公園のベンチで、気持ちの悪いシールがベタベタはられていたら、あるいは、あなたのイデオロギーとは真逆のメッセージが書かれたシールが、ベンチやポストに貼られていて、イデオロギージャックされていたら、きっとその公園の管理者に連絡するだろう。 

そして、同時に、この世界で生産され、流通する、何かの目的で作られた、ほぼ全てのものは、程度の差こそあれ、使い方を間違えば、迷惑行為の材料になる。

一文字のアルファベットのシールなど、本来何の問題もない。それこそ、日本中で、様々なシールが売られているわけだ。いかなる政党が、あるいは政治家が、あるいはその支援者が、選挙応援の目的で、それを作ったから、配布しからと、批判されることも、批判されるべきでも絶対にない

ただ、それを間違った場所に貼り付けた、その愚かな行為と、その行為を行った実行犯、あるいはそれを命じた者を、証拠とともに批判するべきなのに、何の具体的な証拠も示さず、マスコミや著名人、あるいは議員までもが、立候補者の名前とイニシャルが一致しているからと、適切に使われている物とごちゃまぜにして、誹謗中傷にしか見えないパッシングを行い、挙句の果てに処理を要求するのが、どれほど愚かで的外れで無責任で、卑怯で幼稚な、恥ずかしい行為か、同じ事が自分に起こる可能性を、少しでも考えれば、きっとわかると思う。






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