親の愛はシトラスの香り

話は自分の小学校に遡る。

私の育ったのは1学年1クラス全校生徒でいうと100人に満たない、ド田舎だった。全校生徒の顔と名前を覚えられるような生徒数だ。

その一人、同級生に妙な子がいた。

図工の時間、おそらく「友達について」という題材で絵を書いていたと記憶しているのだが、その子の絵は四角形に丸と棒がついたような人型が10ほど、腕らしきものを上げたり下げたりして横並びになっていた。子供によくある絵だ。妙だったのは、背景手足胴体関係なくすべてオレンジ色に塗られていたのだ。子供の絵にしては前衛的すぎる。

不思議に思った私が「なんで、オレンジ色なの?」と問うと「貧乏だから」と返ってきた。三兄妹の末っ子、兄、姉のおさがりらしいその子の絵の具箱には腹を何度も潰された絵の具の中に辛うじてオレンジ、黄色、赤、黒のインクだけが腹を膨らせていた。なるほど、これではオレンジと黒しか作れない。

彼女は何かにつけて「うち貧乏だから」と口にした。実際幼い時に父親を亡くしていた彼女はなるほどと思わせるところがあった。そして私も他の生徒もステレオタイプな「貧乏な子」のイメージを彼女に当てはめていた。彼女の家に遊びに行くと、プラスチックの塊をバラバラにしたガラクタのようなものが居間に山を成しており、時折その瓦礫から這い出るように顔を出すゴキブリを見た。そして、彼女からは甘酸っぱい、なんだかよくわからない匂いが漂い、私の中に「不潔な香り」として認識されていた。

中学に入ると大人数になったこともあって、その子との関わりは全くなくなった。その時期と同じくして吉川ひなのがCMをしていたある清涼飲料水が流行った。若者は流行り物に弱いが私もその例に漏れず、「流行っているなら飲まなければ」とスーパーでそれを買い、入り口を出たところで早速缶を開け、一口口にふくんだ瞬間、訳もわからず吐き出し、そのまま座り込んでしまった。

嗅いだことのある香り。
まさしくその香りは自分が「不潔」と感じたあの香りだったのだ。

そこからは一口も飲めなかった。なんだこれは、腐っている。なぜこれが飲料水としてだされているのか。流行っているのか。よくわからなかった。

そして、現在に戻る。カレンダーの進みは遅く感じるのに歳を重ねるのはなぜだか早く感じる。自分を含め人生の転機を迎え、結婚し、子を育て、はたまた離婚という選択肢を取った話をよく聞くようになった。

この歳になると、ふと「自分の人生とはなんなのか?」と思い詰める日が幾夜もある。足取りを止めて振り返ってしまう。自分の人生の「主人公」は今、誰なのか?その答えは人によってまちまちで、子になり、配偶者になり、自分になる場合もあるだろう。

そんなことを考えている夜、ふと気づいてしまった。

何故、彼女からは毎日あんなにも濃くあの香りがしていたのか?

確かに家は汚かったかもしれない。文房具も満足に与えられない経済状況だったかもしれない。しかし、彼女からはいつもあのシトラスの香りが漂っていた。毎日来る日も仕事に出かけ、子供三人に食事を食べさせ、そして洗濯をする。あのシトラスの香りは母親の愛の香りだったのではなかろうか。その答えがふと浮かんだ時、親の愛の深さに気が付いてしまった。
間違いなく、彼女の母親にとって主人公は「子」であった。そう考えた時に、なぜかぐっときてしまった。勿論、その子の体臭という線もないわけではない。そして勿論私の想像でしかない。しかし、何故だろう、そうではないと信じたい。

地元を離れてしまった今、友人がどこに住んでいるのかはわからない。家庭を持っているのかもしれないし、案外近くに住んでいるのかもしれない。

そして、もし、家庭を持っているならば、あのシトラス香りがしてほしい。そう願ってしまう。

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