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毒親もどきの母親(#1)

母親が毒親もどきだと最近まで気が付かなかった。
母親は私が産まれた時から、色々と情緒がおかしくなったと父は言う。
今回は、母親の毒親もどきの奇妙な行動を紹介したい。

なんで毒親"もどき"?

毒親と検索すると大抵、「身体的苦痛」「精神的苦痛」の2点に大雑把に分けられる。
母親は後者に当てはまる。…が、その内容をよく見ると「罵られて…」「存在を否定されて…」と出てくる。しかし、母親はあんまり当てはまらない。人格否定をほぼされたことがないからだ。

だから、純粋に私と母親の性格が合わないだけかもしれない…と思いたいところだが、それ以上に人間性がおかしいのは確かである。

今までは普通だった言動

さて、私が物心ついた頃には今の母親が完成していた。だから、昔のことから記憶が新しい最近のことまでの母親の言動の一部を6つ紹介したい。

①死んだフリ
私が保育園〜小学校低学年まで、毎週のようにされた。母親を呼びかけても応答せず、泣くと「うるさいわねぇ」と言って起きる。ここまでがルーティン。泣かないとあとが大変。

②自殺行為のフリ
これは小学校〜中学生あたりまで続いた気がする。寝室に首吊り用のロープを吊り下げてみたり、3階の寝室の窓の縁に座って泣いてみたり。

③父に毎週土日の夜に連続3時間以上絡む
これは最近は無いが、中学生あたりまであった気がする。20年以上前のことを論点にして話したり、とにかく感情論で泣き叫んでた。

④ ③のあとに外に出る。
とにかく死にたがりな母親は、父がそれなりの返答しかしないために「死んでやるから!!」と言い残し、1〜2時間ほど家出する。
自分から帰ってくる場合もあったが、その時は「死んでもいいと思ったんだ」とまた何時間あっても足りない状態になるため、基本的に父と姉が真夜中に母親の捜索をしていた。

この記憶、驚くことについ数ヶ月前まですっかり忘れていた。私の短い人生の半分以上を占めたであろう記憶を失くすとは自分でも驚いた。

⑤平気で物を壊す

最新の傷は私が高校生の頃にトンカチ?を振り回して扉に小さな穴を開けていた。他にも調理台を包丁でベコベコにしたり、お風呂の扉バキバキにしたり…
でも、修復も自分でやる。買い換える訳ではなく、補強程度だが。

⑥言葉選びが下手というレベルではない。
罵る訳では無いが、現段階で母親がカースト1位のためいつでも言いたい放題である。
最近衝撃を受けたのは、父親に対して笑いながら「絶対発達障害だよね」と放ったこと。

母親はまず褒めるという行為をほぼせず、人を蔑むことがある。また、昔のことをネチネチと永遠と言い続け、それをネタに毎日怒るため、かなりめんどくさいタイプである。あと、ご機嫌だったのに急に怒り出すこともしばしば。

この6つが母親の今までの奇行の一部である。

奇行の中成長した私

この母親の血を受け継いだ私は母親をいかに満足させるかを重視して生きてきた。
そうでなければ、生きていけないと本能的に察知したのだと思う。
そんな感じだから、性格も途中までは母親に対しても
「怒らない、基本笑顔、自分が悪いと言い謝る」の三拍子がピッタリだったと思う。

だけど、さすがに鬱憤が溜まれば怒る。

そんなときに母親がシラフの状態で喧嘩した時にとても衝撃的なことを言われた。

「このポーカーフェイスがっ!死ねっ!」

文句を言わず、ニコニコ生活してきた挙句に言われたから驚き。
何が悪かったんだろう。と考えたりもしたが、明らかにこのポーカーフェイスは、この母親が居なければ無かったであろう私の才能だと思う。

⇒次に続く


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