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「新聞記者」:穿った見方が求められている

観るひとの心にモヤモヤを残す、絶妙なラストシーンだった。

映画「新聞記者」は、国家権力による情報コントロールをひとつのテーマとして描いた作品だ。

32歳の若き監督は、政治や社会情勢に関心が高いわけでもなく、プロデューサーからのオファーを一度は断ったという。そんな藤井監督が、東京新聞の望月衣塑子記者の著書『新聞記者』を原案に、官僚側の視点も盛り込んで脚本をつくりなおしたそうだ。

現実世界の政治ネタを盛り込みつつ、ノンフィクションではなくて、あくまでも、エンターテイメントとして描いているところが、それはそれでおもしろかったんじゃないかと思う。

内閣情報調査室(内調)の実態や、権力とメディアの関係性については、リアルなところとそうでないところとあると思うけど、やり方はともあれ権力者の都合の良いように情報操作が行われていると改めて認識させられた。政治の世界にかぎらず、情報はいくらでも力を持っている人間の都合の良いように発信されうるものだよね……と。

それは個々人が悪いというより、権力を持つ人たちの立場や性質上、威信を損なわないように動くようになるものなのだと思う。自分もそうなるかもしれない。

だからこそ、情報を受け取る側には、穿った見方をすることが求められる。本作品からは、新聞社の「誤報」の裏には、何かしらの事情があるかもしれないと学んだ。その"裏の事情”も想像しながら、情報を読み取る力が必要なんだろうな。

ここからは余談だけど、監督のインタビューのひとつに、官僚から聞いたというこんな言葉が載っていた。監督的にはその言葉に納得しているんだけど、「国家公務員としてのミッション、履き違えているでしょ」としか思えず、これには腹が立ってしまった。「僕達の正義」ってなんですか? どう考えても、やるべきことは記者へのカウンター攻撃じゃないでしょと言いたい。

官僚の方にお話を伺ったとき、「記者に対しての印象操作と言われるものが仮にあるとしたら、それはカウンターなんです。攻撃されたからやり返しただけであり、僕達には僕達の正義がある」と仰っていて、それが絶対に間違っているとは思えなかったんですよね。彼らにも生活があり、彼らなりの正義もある。そこをおざなりにする作品にはしたくないと思いました。

2019.7.14 鑑賞


花を買って生活に彩りを…