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免疫、抗体、予防、消毒、ワクチン、予防接種…

いきなりですが「予防接種」って必要だと思いますか?

あまりにもざっくりな質問なので、答えに窮する方もおられるかと思います。予防接種とひとくちにいってもいろいろなんですが、まずはおなじみの語彙の定義をしておきたいと思います。

ワクチンとは〜感染症を引き起こす(とされる)病原体(細菌やウィルス)やそれらが出す毒素を極力無害にしたもの。それを接種してあらかじめそれらの病原体や毒素に対する抗体を準備しておくことで、感染症の発症を防ぐ目的で用いる生物由来製品。

予防接種〜予防目的でワクチンを接種すること。

「抗体」さえ準備しておけば発症を防げるという考え方に基づいて用いる薬剤のことをワクチン、それを接種することを予防接種といいます。

これはわたしのイメージなのですが、抗体とは病原体にくっついて活動できなくするものなので、暮らしのなかで目にする物に例えるとゴキブリホイホイ、ハエ取り紙、ネズミ捕りに近いです。Gホイやハエ取り紙にくっついたGやハエがうろちょろできないように、抗体がくっつくと増えたり毒素を出したりできなくなる。そこを免疫細胞(好中球やマクロファージなどの食細胞)がお片付けしてくれる…というわけです。自前でこしらえる抗体に対して、抗体がくっつく相手のことを「抗原」と呼びます。ワクチンに入っているのはこの「抗原」。

抗原にはいくつか種類があって、病原性の低いものを培養してそれを生きたまま使うのが生ワクチン、培養した病原体を薬剤で殺したり粉砕したものを使うのが不活化ワクチン、病原体が出した毒素を薬剤で無害化したものだとトキソイドワクチンといいます。

基本的に抗体と抗原は鍵と鍵穴なの関係なので、ちょびっとでも違うと役に立ちません。ダイヤル式の鍵がついたトランクを「5678」で開くように設定したら「5678」なら開きます。でも「4678」だと4分の1開くなんてことはありません。合致すれば開く(抗体なら役に立つ)。合致しなければ開かない(抗体の場合だと役に立たない)。そういうふうにできています。

更に言うと、注射で入ってきた抗原に対してつくられる抗体はIgG(免疫グロブリンG)という血液中をぐるぐる巡って「わるさするやついねが〜」と抗原を探してくっつくもので、粘膜上に染み出すことはほぼ無いとされます。胎盤や母乳を介して赤ちゃんにプレゼントできるのもこれ。一方実際に感染が起きるのは怪我のときなどを除き、呼吸器粘膜か消化管粘膜で、その最前線でGホイの代わりをしてくれるのはIgAというタイプの抗体。というわけで、痛い思いをしてこさえた抗体はIgGなので感染は予防できないのです。残念ながら。

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前にも出したかもですが、再掲。慈恵医大の特設サイトで既に役目を終えたかどっかからの突き上げがあったのか知りませんが閉鎖されておりますが、なかなかに興味深いことが書かれています。以下、赤線部分。

注射による中和抗体IgGの産生が感染防止に役に立たないことは、インフルエンザのワクチンでよく知られている事実です。

呼吸器粘膜で感染が起きるインフルエンザは注射で血液中のIgG抗体を作っておいても残念ながら役に立たないけど、コロナウィルスは全身に感染が広がるから、重症化は防げる可能性がある…という期待がここに記されています。今は鼻粘膜に噴霧してIgA抗体を作るタイプのインフルエンザワクチンもありますが日本では未認可で、鼻粘膜には「露出した脳」ともいわれる第一脳神経の嗅神経があるので、ちょっと使う気になれません。

「免疫=抗体」と考えると、その病原体に対応する抗体がなければ「大変だ!」ということになりますが、抗体は所詮ハエ取り紙です。家の中にハエがわんさか入ってこないようにするためには、ハエがたかりそうなものをそこら中に置かないとか、扉を開けっぱなっしにしないとか、いろいろ工夫をします。それと同じで、どっさり病原体が入ってこないようにするためには、免疫システムの最前線の常在菌と自前の表皮や粘膜の細胞という2重のフィルターを健康に保ち、カラダのなかに病原体が好みそうなもの(家のなかのハエがたかりそうなもの)を溜め込まない暮らしをすればいいのです。これが免疫を正常に保つということ。

カラダのあらゆる機能が正常で、カラダそのものが清浄ならば、免疫システムは力を発揮しやすいのです。正常=ノーマル、そして清浄=クリーン。

カラダの内側は自前の細胞や体液だけ。カラダの表面は自前の細胞があって、その上に免疫システムの一部を担ってくれている常在細菌叢があることをわすれちゃいけません。むやみに除菌殺菌するとこれが壊れます。除菌殺菌するよりも、ふだんから体表面の細菌叢の多様性を育むために発酵食品をせっせと食べるとか、無農薬の畑で農耕接触するとか、自然林でアーシングしつつ深呼吸していろいろ吸い込んでおくとか、とにかく微生物と仲良くして守ってもらってることを感謝するくらいが丁度いいのです。

どうして日本人はじめ東アジアの国々はヨーロッパなどに比べて奇妙なほど死亡率が低いのか…ということがあちこちで憶測をよんでいます。日本のBCGが効いてるのではないか。手洗いうがいの習慣か。靴をぬぐから家のなかにウィルスが少ないのでは。HLA因子(白血球の型)の違いで、欧米人はこのウィルスに弱い因子を持っている人が多いからか。そもそも、東アジアと欧米で流行したものとウィルスの型が違う。東アジアの人は既に似たタイプのウィルスを経験済みで抗体を持っている。…いろんな説があります。どれかひとつではなく、複合的な要因が重なってのことだと思います。溶連菌による猩紅熱が、いつの間にかだれも発症しなくなったように。

人種や民族によって感染症への耐性が違うのは昔からよく知られたことで、特に初めて出会う病原体に対しては無防備なため多くの人が命をおとしました。アメリカ大陸にヨーロッパから天然痘と麻疹のウィルスが持ち込まれて多くの先住民が死んだように。大陸間の移動でなくとも、地域によっても微妙に違うらしく、ナチス・ドイツの頃にも猛威を奮った発疹チフスは、東ヨーロッパの人たちよりも、ドイツ人のほうが発症した場合の致死率が高かったそうです。優生思想に矛盾するのでなんとしても封じ込めなくてはいけない!という恐れを利用してたくさんの命を救ったエピソードが残っています。

ポーランドの医師ラゾウィスキは、プロテウス菌を接種すると発疹チフスの陽性反応が起きることを利用して、発疹チフスのニセの流行を作り出し、多くの人が強制収容所に送られるのを阻止しました。
医学の力でナチスの裏をかき多くのポーランド人を救った医師たちの物語
涙なしには読めないエピソードです。

他にも、抗体はあればいいというものではなく、抗体依存性感染増強という現象もあり、これは自然感染でおきることもあるし、ワクチンによって発動することもあるのです。
ADE(抗体依存性感染増強)の懸念と今後のシナリオ

来年の前半には全国民に接種できるように多額の国費を投じて準備が勧められているようですが、通常、ワクチンの開発には数年以上を要します。安全性や有効性が充分検証されることなく、見切り発車的に使われることになるのでしょう。見切り発車的に多くの人に接種すれば、事故が起きる確率も増えることは想像に難くありません。薬害はどれもそうですが、販売する側はたくさん売った(打った)なかのほんの一部の人に被害が出たという感覚ですが、被害を受ける人は何万回もそれを使用したわけではありません。たったいちどで被害が起きたら百発百中の確率なのです。分母の違いによるこの確率のギャップはどこまでいっても平行線です。運が悪かった…で済ませるにはあまりに酷な被害も起きないとは言えないのです。

ワクチンどれもこれもが恐ろしいものだというつもりはありません。でも、安全性も有効性も充分な検証がなされないまま大急ぎで準備されたものを「安全」だとはとてもじゃないけど思えないのです。


免疫システムは自分自身のクリーンでノーマルな状態と、体表面の常在細菌叢の共同作業によって維持運営されています。むやみに除菌殺菌消毒せず、多様な細菌たちと友好関係を築いておきましょう。

今月もワクチンのお話会しますね。近日中にスケジュール公開します。

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