慶應卒、転職活動で60社落ちる

転職活動のくせに題名に大学名を持ってくる辺り、なんか痛いな、過去の栄光に縋っているタイプだなと思ったそこのあなた、その通りです。記事を読んでざまぁみろと笑ってください。
これは私が転職活動を通じていかに自分が卑小な存在であったのかを漸く自覚した、そんな恥ずかしい人間の話です。

社会人3年目、冬の初めに転職活動をすることに決めた。
私は地方公務員なので3年で異動になる。転職するには良い機会だと考え、あまり深く考えずに早速転職エージェントに登録した。今の時代転職してる人はたくさんいるし、より自分が成長でき、良い待遇のところに行こうと考えた。我ながら浅はかな考えだったと思う。当たり前のように内定がもらえると自惚れていたのだから。大体1〜3ヶ月で内定が出るだろうと言われていた私の転職活動は、結局5ヶ月かかった。

恥ずかしいことに、私は大学生の時に就職活動といえるようなことをしていない。
周りが早期に就活を始め、ガクチカ対策に躍起になっていた頃、私はその人たちを冷めた目で見ながら、企業研究も何もせず、大学での実験に没頭しては図書館にこもってレポートを書いたり本を読んでいた。
残念ながら私は地頭が良くないため、人一倍時間をかけないと良い成績をキープすることができなかった。中高の頃に落ちこぼれてしまったので、大学では真面目に勉強をしていた。おかげで周りからも優秀だと思われていた(と思う)。本当は優秀でない自分を守るのに必死だったのだ。
就活をしたら、失敗したら、本当の自分がバレてしまう。見栄を張っているだけで中身がないことが周りに知られるのが怖くて、結局就職活動をするという決断ができなかったのだ。本音を言えばずっと環境が変わってほしくなかった。このまま研究だけしていたかった。無情にも時は進むのでそんなことは叶いやしないのだけれど。

そして特にやりたいことを見つけようともしなかった私は、3年生の終わりくらいに地方上級の公務員試験をいくつか受けようと考えた。理由は面接回数が少なく、試験であれば突破できると思ったからである。思ったとおり、試験とたった2回の面接をすんなりと終え、私は地方公務員になった。

ようやく本題に入るが、何故こんなに落ちてしまったのか?原因は主に2つあると思う、

一番の原因は自分が転職を通じて何を目指すかが明確ではなかったからだ。もちろんそもそも大学生のときに就職活動を怠っていたため単純に企業研究や面接対策不足もある。
私は、最初の頃転職エージェントに自分に何が合っているのかを決めてもらおうというスタンスだった。求人に目を通しては「絶対にここに行きたい」というところも見つからず、なんとなく応募して、なんとなく面接を受けて、気づいたら2月の終わりに1個も内定がもらえないどころか最終面接にも進めなかった。
自分に何が合ってるのか、それは見つけてもらうものではなく、仮でも良いから一度自分で答えを出すことが大切であると思う。そうでもしないと目標を持って前に進めないからだ。
いろんな仕事をこなしているわけではないから、正直若いうちは適正なんてわからずとも、決めた先で頑張って適性がないと感じれば別の方面で頑張ってみる、そんな進め方で良いと思う。

二つ目の原因は、プライドが高く、自己評価が高すぎたことで内定の難しい企業ばかりに申し込んでいたからだ。
正直中高大とある程度知名度のある学校を卒業していたから、どこかしらすぐ内定がもらえると思っていた。当たり前だが、面接で聞かれることは1社目の経歴ばかりだ。何故目指したのか、どんな成果を出したのか。学歴なんて既に過去の栄光であり、私はそれに縋っているだけだった。今の私は、特に努力もせず今の難しくはない仕事をなんとなくこなしてできる気になっていただけだった。私は今の職場で活躍できていると思っていても、他の場所で活躍できるほどの実力のある人間ではないのだ。

すごく嫌らしいことを言うが、慶應は滑り止めで入った大学だった。聞いたこともない高校から慶應に入った子が、私よりも有名な企業に受かって仕事をしている、私ならもっとできるはずだ、そんな驕りがあった。今書いていて本当にこんなことを考えていた自分が恥ずかしい。私がぼんやりと過ごしてきた大学時代そして3年弱の社会人の間に、周りは必死に企業対策をして、入社してからも仕事をしてスキルを磨いていた。努力もせずそんな人たちをどこか一歩引いたところから眺めていた私なんかが適うはずもなかった。

転職活動をしてよかったと思う。想像の中の自分はすぐに転職活動を終えることができる優秀な人間だと思っていたから。自分が学歴コンプレックスを抱えていたことに気づくことができたから。頭の中にあるうちは想像している世界が正であるから、それを外に出すことをしないと自覚することはできなかったと思う。受け入れなければいけない。実際の私は、私が理想として思い描いている自分とはかけ離れていることを。
そして私はこれから先、今の自分を認めて、不甲斐ない自分のまま、生きていかなくちゃいけない。頑張っている人を笑うのは、その努力が妬ましいからだ。かつての私がそうだったように。何かに一生懸命になっている人は、がむしゃらであっても素敵だと思う、そう思えるようになった。

なんとなく、人生は勝手に進むものだと思っていた。中高大と敷かれたレールの上をそのまま走ってきた私は、このままレールの上を進んでいくのだと思っていた。確かに、今までは進みながらも家族や友達の存在があって、当たり前のように受験や就活というイベントがあって、自分で決断しなくても、周りに合わせて勝手に進んでいくことができた。しかし、「転職」や「結婚」となると話は違った。選択の幅が一気に広がるため、自ら手を伸ばしたり、決断しないと前には進めない。私は自分がこんなにも1人で決断ができない人間であるということを転職を通じて初めて知った。

ありのままの自分を受け入れる、よく聞く言葉だ。でも私は少しでも理想の自分に近づきたい。そのために頑張って生きていく自分が好きだ。本当に少しずつ、少しずつの変化だけど、できることが増えていく、そんな些細なことがこんなにも嬉しい。そして、こんな恥ずかしいエピソードをnoteに書くことができる、彼氏や友達に話すことができる、そのことが本当に嬉しいのだ。以前の私ならプライドが邪魔して口が裂けても言えなかった。おかげで少し生きやすくなった。ありがとう、転職活動。これからもダメな自分のまま頑張って私なりに生きていきます。

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