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代わりに空が、桜色でした。

私の生まれた場所でもある、近所の病院の敷地内には、数年前まで、桜の大樹がありました。毎年こぼれんばかりに桜を咲かしていたその樹は、もう跡形もなくなり、大きなコンビニエンスストアにとって代わられています。

曇った空に、くすんだ街並みに、コンクリート。全てが同化した、モノクロの写真のような街。記憶にある故郷は、特筆するところのない場所でした。しかしそんな街のなかで、一つだけ異質なものがありました。
それが、病院のコンコードの片隅にあった、一本の桜の大樹でした。
毎年、四月も終わる頃には、滲んだ薄桃色の花弁をすべて落とし、所々に緑の芽を付けました。この、ピンクと緑が入り交じった桜を見るのが、私は一等きらいでした。桜の花弁が、地面のコンクリートと同化して灰のように見えるのが、あんまりに惨めだからです。そしてつい先日までこぞって桜を愛でていた者たちが、葉桜にはもう目もくれないで、その花弁を踏みしめてゆくのです。車道に落ち切った薄汚れた桜だったものは、車とオートバイの下敷きになってゆくのです。私は美を失った葉桜と、人々の薄情さ、その両方に、どう仕様も無くいたたまれない気持ちになりました。結局人は美しいいっときにしか目をくれないんだと、その仮説はどうやら真らしいと気付いたのは、私が十四、五の時でした。


私は、幼い頃から、写真集を眺めるのが好きでした。キュレーターとして働いていた父は、沢山ではないですが、優れた写真集を集めていたのです。中学生くらいにもなると、私は、休日も放課後も、大抵はちいさな部屋にこもって写真集を眺めて過ごしていました。写真集で見る世界は、幼い私にとっては異世界じみていた…ブダペストの燦々たる夜景、ダマスクスの壮麗なモスク、白とスカイブルーが波打つ死海。私はモノクロの街にいながら、鮮烈な異世界を旅することに夢中になっていました。
いつだったか、私は父からおさがりのフィルムカメラを貰い受けました。それからは、ひとりで街をぶらついては写真を撮る日々でした。どの写真も、見慣れた街の一片。憧れの異世界とはまるで違っていたけれど、暇つぶしくらいにはなりました。
いつも基本的にひとりでいる私を気にかけていたのでしょう、父はよく、たまには友達と外に遊びに行ったらどうだ、などと言ったものです。しかし、女子高生にもなると、公園やら運動場では遊びません。可愛いコスメや芸能界の話、恋の話にもさして興味を示さない私は、当然友達がほとんどいませんでした。そういうわけで、だれかのポートレートを撮るということはありませんでした。代わりに私はよく、近所のその桜の樹を、ひたすら撮るようになりました。それだけが、この街の中で、私の心に引っ掛かり、不安定にさせるものだと気付いたからです。
桜ばかりを撮ったフィルムカメラは、今でも現像することもなく、物置にしまい込んであります。

私は大学でも写真サークルに入っていたけれど、段々と、写真への興味が失せていました。いつしか、撮るものすべては証拠写真か、もしくは加工した虚構でしかないと思うようになったからです。私が生きているのは、この色褪せたつまらない世界。モノクロの写真の中にひとり沈黙して佇む生物に過ぎないのだ、ということを証明するだけのものと化していました。或いは、そのリアルを美化するための加工を施し評価されることに、価値を感じられなくなっていました。
ある時、以前付き合っていたサークルの先輩に行き会いました。
「お、久しぶりじゃん。今、忙しいの?」
まあ…と曖昧に頷くと、芦部さんはすこし苛ついたように小さな溜息を吐きました。この人の溜息がとても苦手だったことを思い出しました。
「そういや、新しく彼氏できたんだろ。」
は?と顔を上げると、芦部さんはもう一度、態とらしく溜息を吐きました。
「水島だろ。街で一緒にいるの見たし。おまえ、タイプ変わったな。ああいうの、好きじゃなかっただろ。パッとしない、暗いかんじの。つまんなくねえの?」
一気に饒舌に話し始める芦部さんに、閉口しました。まるで流血したように心臓が脈打つのが不快で、私は彼から目を逸らすと、芦部さんは、何かに勝ったと思ったらしく(彼は分かりやすいドヤ顔をする)、さらに畳み掛けるように詰り始めました。
「まあ、何が問題って、お前のインテンシブが削がれてんじゃないかってとこだよ。創作意欲っていうかさ。俺と付き合ってた頃のお前って、すごいイイ写真撮ってたじゃん。ほら、花畑に行った時の写真とか。センスあるなって思ったもん、俺」
「そう」一言頷いて、踵を返しました。
あっ、おい!と、焦る声を後ろの方で聞きながら、私は妙に胸が締め付けられました。
「怒るなって!」
私は怒っていない。もうこの人とは根本的に違ってしまったのだ。いや、はじめから全てが違っていたのだ。そう確信できることがただただ、無性に遣る瀬無かったのです。


花畑。そう、あれは有名なポピーの花畑で、SNSでその存在を知った私が行きたいとねだって、彼に連れて行ってもらったのでした。しかし、実際の花畑はSNSで見た写真とは違った…ポピーの鮮やかさも、空と花のコントラストも、写真より到底劣ったふうに見えました。私は彼の手前、落胆を隠したけれど、こんなもんかとすら思っていた…

芦部さんについてもそうでした。写真サークルに入ってすぐ、存在感のある人だ、と、遠くから眺めていたひとでした。スタイルがいい上に、服にこだわりのある人で、ヨウジヤマモトやら川久保玲に心酔していて、スカーフのようなスカートのようなものを履いたりしていたが、不思議と様になって見えました。
付き合い始めてから、写真のことについては特に、お得意の批評家精神を露わにしました。「あー、なるほどねぇ、」というのが、彼の批評が開始する合図でした。
初めのうちは、センスがよく、確固たる信念(のように見えたもの)を持つ彼を尊敬していました。しかし段々、彼の批評はいたるところで現れ始めたのです。私のファッション、好きな音楽や映画、ヘアスタイル、料理の味付け。
「そのヘアカラー、ちょっと日焼けした感じで痛んでるみたいな色だな。アッシュが強過ぎるんじゃないの?そういうカラーって、派手な顔のコが似合うんだよ」云々。モヤっとすることが多くなりました。別れたいと言うと、「センスないよお前」と、捨て台詞を吐かれ、何故か、私が振られたことになっていたのは笑い話です。

とにかく、そのいまいちだったポピーの花畑の写真をうまいこと加工修正したら、サークルのみんなからは賞賛されました。アートピクチャー賞、みたいな感じの、賞を貰いました。私は拍子抜けしました。
加工して現実を隠蔽し、美しくするのは、良いことなんだろうと思います。食べ物をおいしそうに加工する、自撮りを美肌修正する…そんなのみんなやっているんだし、と。

でも、それならどうして私は虚しくなったのでしょうか。本質がなんなのか、そもそも本質に拘ることはナンセンスなのか、私には答えが出せませんでした。
展示作品の課題が出るたびに、いつしか私は、美しい見栄えにすることに躍起になりました。そうして作りあげた作品は、私の視覚的記憶を美化し、塗り替えました。上書き保存のように、呆気なく。虚構のギャラリーは私を時に傲慢にし、時に臆病にする…さめざめと落胆しました。人間の記憶があまりに脆弱なメカニズムであることに。

私はもう思い出せません。あの時のポピーの色味、香り、空気感。もしかしたら少し色あせたポピーだったかもしれない。空はもっとくすんだ青だったかもしれない。肌寒く、あるいはじめっとしてたかもしれない。虫も沢山いたかもしれない。その時の景色の見え方が、その時の私にとっての本当だったにも関わらず…彼への本当の気持ちだったにも関わらず…私は、思い出を美化して再生産して、いつしかここまで目を背けて歩んで来たのです。


女子高生の時、工事現場で交通整理をしているおじさんと顔見知りになりました。駅まで行く途中にあるその病院が、ちょうど取り壊されている頃でした。おじさんは、入り口付近の交通整理をしていました。私はほぼ毎日おじさんと顔を合わせるうちに、ぺこっ、と挨拶をする仲になりました。
ある日、私はおじさんに聞きました。
「新しく、なにができるんですか?」
するとおじさんは、まだ決まっていない、と言いました。
「何ができてほしい?」
べつになにも、と答えようとした時に、一緒に歩いていた姪が、「すいぞくかん」と答えました。彼女は海の中に異様な憧れを抱き、深海魚の図鑑を眺めてはクラスメイトに気味悪がられているようでした。水族館か、いいね、と私は呟きました。
コンビニエンスストアよりは、水族館のほうが幾分か面白かったに違いありません。

そんな中で、その事件は起きました。
ある朝、近所の病院にあった大きな桜の木まで、伐採されていました。半世紀以上の歴史を持つ、大きな、大きな桜の木が急遽姿を消し、傍に大量の薪があるのを目にした日、私は唖然とし、立ち竦みました。私はこの伐採を裏切りだと認定しました。あるいは確かに、犯罪だと。
私はその道路整理のおじさんを憎みました。おじさんからすればいい迷惑だったと、今では反省していますが。

とにかく、その愕然とした怒りのなかで、満開の桜も、葉桜も、土に還る花弁も散ってしまった真冬の桜の木も、同一の桜たらしめている、本質だったのかもしれない、と気が付きました。プラトンはその「本質」なるものを、イデアと呼びました。しかし、桜の木そのものが無くなってしまったらどうなるのでしょう。物質的に其処に実在しなくなってしまったら、その本質も、消えてしまうのでしょうか。当然にそうだと私には思えました。
それから、この桜とともに刻まれた心象風景をもつ人々のことを思いました。今となっては、無形となった桜の虚像を愛でる以外に、私たちにもう術はないという事実だけがたしかでした。それも、人の記憶は憎いほどに脆いメカニズムをしているので、もう今じゃ、其処にあったあの桜のことを思い出す住人すら、そういないのかもしれません。そうに違いない。だって、一年周期ですら、桜が散れば見向きもしなかったのだから。

やはり、一等きらいだ。
私はいま、数年越しに、故郷へ帰り、当時の病院の跡地に来ています。
また巡ってきた春。コンビニで買ったアイスを片手に其処をじっと見つめました。散った後も、土に還る花弁も、秋も冬も、あの桜を馬鹿みたいにひとりで撮り続けた幼い日のことを思いました。何度も其処にあることを確かめ、春夏秋冬哀しみながら、その本質を捉えたくて、そうしないといけないとすら思っていたことを、思い出しました。心底愛していた。

だがこの記憶も薄れていく…そこで数年ぶりに、押し入れの中のフィルムカメラを取り出しました。


「写真には本質が宿る…いや、もっと正確に言うと、それはいつでも、本質を閉じ込める標本なんだ」

幼い頃、ひとりでカメラをいじっていた私に投げ掛けられたのか分からない、父の言葉がふと過ぎりました。フィルムカメラのシャッターを切りました。


なにもない。でも、代わりに空が、桜色でした。

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