友人とともにみる将来のかがやき

「ファッション? 何それ、おいしいの」みたいな感覚な自分だが、生物学的に女性である。見た目と見られ方とすりあわせたほうがいいよ、というカウンセラー師の言葉に反応し、自身の見た目(ファッション)について考えることになった。

都合よきときに、友人と集まる機会があったので「私はどんな風に見えている?」質問してみた。周りが知っている私を知れば、見られ方もわかってくるかもしれない。

自分のことはわからないし、なかなか言えないけれど。他人(友人)のことならよく見えるように思う。はじめは見た目のイメージについて伝えあっていたはずなのに、日本酒というアルコール燃料を搭載したおかげか、お互いの資質やら将来の夢に向かうのに必要なことにまで話は広がる。

日本酒や刺身の皿、季節の野菜天ぷらのかごなど、びっちりとおいしいもの達がならぶ卓の隙間で、ちんまりと紙を置いてメモをすることになった。交通整理が必要になるくらい、わんわんと伝えあうから、メモがおいつかない。

2時間の宴、その間にメモはびっちりと。アルコール燃料が徐々に過積載になっていたようで、おしまいの辺りはみみずのようなラインが爆発して紙におさまってない文字も増えている。それでも、友人たちから教えてもらった私は、自分自身の知らない私もかなりいた。

友人たちによるならば、私の見た目はかっこいい系の女性らしい。でも、中身はときどき5歳児。もしくは少年。性格は、マルチタレントで陽だまりの縁側のようなあたたかさをもつ人のようだ。

自分では、かっこいい中にかわいらしさをもつ女性で。考え事ばかりしている頑固者、職人気質。性格は姐御で、どこか無造作な人。と感じていたから、思いがけない高評価(?)に身が縮んだ。褒め殺しにあった気分。ファッションのことでなく、思いがけず自分の内側を見せてもらい得した気分。

それでも、周りから見たわたしの姿。そのようにみえる私もいたんだね、と抱きしめて自覚してみようか。

きちょうめんに折りたたまれたメモたちを、朝、あらためて開く。そこにある文字は線があばれるくらい元気よく。その字を見ながら、友人たちの夢見る将来のことを思う。

あばれている文字のように元気あふれ、いのち輝いてる将来なんだろうな。その中に、わたしの未来も輝いていて欲しいな。

あの未来に向けて、今から自分もがんばってみよう。そして、友人たちと見た未来の景色を一緒に笑ってながめよう。

友人たちのことを思うと、自分のがんばる容量が少し増えた。

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