頭の中、いつか晴れるかな。

書くこと、読むこと。自分なりに考えてはいるけれど、それは自分だけのもの。人に聞いてみる機会をどうつくればいいやら、途方に暮れるわたし。
だから、イベントで書き手さん読み手さんのはなしを聞けることを楽しみにしてた。そんなオンラインイベント。レーダーチャート診断をver.1もver.2もうけた方々(グループAのみなさま)が集まる会に参加した。

オンライントークイベントでのこと

このイベントは自分の書いたnoteのなかから、池松さんに読んで欲しいとお願いした1つのnoteについて、ひとこと意見や感想をもらえる時間。

わたしは読んでもらいたいnoteの提示をしなくて、他のnoterさんたちへの意見や感想を聞くだけの参加だった。それでも、ふむふむ、じっくりと。自分の書き方や考え方を振り返る目線をもらう。

そして、自分の中にその目線を押し込んでみる。とりあえずは、まるのみ。

【書くときの血肉にしたくて、わたしがのみこんでみたもの】

・手段を工夫して、目的に向かう
「何のために書くのか」を、自分なりに設定して書く=目的
どう書くか。はなしの道順みたいなもの=手段
 もし、同じ文章であっても。目的によって、そのよしあしは変わってくる。

・文章のサビを意識する
サビの部分が、コンテンツの目的にあたる(のだと思う)。
何を一番伝えたい? ひとつのnoteでひとつを意識する(1コンテンツに1つのメッセージ)。

・ひとつのことを、複数の表現で書けるか
他の言い回しはないかな、と探す。

・好きな文章を模写する
こんな風に書きたいな。お手本にしたいものをみつけて、模写する。模写すると構成やら表現やら、読むだけでは見えないものが見えてくる。

……ずらっと書いてはみたものの、まだぺらっとしか理解できてない。考えながら、書いたり読んだりして内容を消化するうちに、ようやく自分の血肉になりはじめるのだろう。

しばらくは、思いつくままに書き方や読み方を試す。いつか、自分自身のものになる時をたのしみに待つ。

人それぞれの、書くたのしみ/読むたのしみ

昨夜、おはなしを聞いた人たち(書いている人たち)が、とてもたのしそうだった。

いつもの・顔見知り同士であいさつをするような、日常のなかで目の前に現れるたのしさだけでない、これまでと違う道を通ってるような感覚。自分にとっては思いがけないものやことをやってみて、その道筋を楽しむたのしさ。

それは、知らない街で迷子になった感じに似ている。ひとりではいかない/行けない場所に踏み込んでいて、いつのまにか新しい景色を面白がってる自分に気づく。

池松さんから、書き手さんひとりずつにむけて伝えられる感想や意見を聞きながら、迷子を楽しみ始めた自分を見て面白くなる。

書くたのしさは、人によって違っているのね。わたしも、今持っている他のたのしさを感じてみたい。どうやってみようかな。
でも、そのまえに。目的を自分で知るところから(かもしれない)。

noteのむこうに居る「人」

書く人がいるから、noteがある。
それは当たり前なのだけれど、日常で強く意識しているわけではない。

けれど、トークイベントの後での交流会で「人」を強く意識することになった。

こっそりと足跡をつけないように読んでいたnoteの書き手さんが、画面の向こうで動いている、声まで聞こえる。
noteのアイコンで顔を知っていたけれど、声を知らなかった遠い場所においてあった書き手さんが、わたしに話しかけてくる。

noteの文字だけでしか知らなかった人たちが、画面の中で動いていて、声を出す。noteの向こうに人がいることが、とても強く感じられる。

……だめだ。あたま真っ白。緊張する。話を聞くだけのつもりで参加したから、人と話す覚悟みたいなものができてなかった。口から心臓出そうになり、意識が遠くなる。耳の奥でアラート音が聞こえるような気がする
(と思ったら、イヤホンマイクの電池残量が減り過ぎだよアラームだった)

もっと気軽に

極度の緊張しいの自分は、集団の中での役割を引き受けていないときには、あたま真っ白になることが多い。途中から、自分のこころを生徒モードに移行する。気持ちがちょっとだけ、立て直される。

話す中で知ったのは、もっと気軽に人とつきあってもいいんだよってこと。わたしの人づきあい(noteづきあい?)は、かなり重苦しく考えすぎだったみたい。

noteなどをフォローしているからといって、その全てのnoteを読みこまなくてもいい!
(自分にとっては、これがびっくり。フォローしてるnote全部、読んでいたの。だから読むことがノルマ化してきて苦しくなることがあったんだと、やっと気づく)

noteやTwitterのタイムラインも、ほわーっと眺めるだけでリンク先の全てを開かなくていい。

わたしは、もっと。表面だけで人づきあいしていいんだと思う。周りから理解してもらえないと、自分が悲しんだ分。自分はまわりを全て知りたいと思いすぎているのかもしれない。

変に、相手の全てをわかろうとせず、身軽に。テレビの画面ながめるくらいに、ふんわりとみてるだけでいいんだろう。

実際の人づきあいのなかでも、心がけておこう。
(そうできないから、わたしは人に疲れる)

「顔見知りを増やしてみよう」と覚えておく

軽く薄く。構え過ぎずに。
「顔見知りを増やす」くらいの感覚で、新しいnoterさんとの出会いを意識して増やす。そして、読みたいnoterさんを増やす。

新しいnoterさんと出会う機会は、さまざま。

Twitterのタイムラインでシェアされてるnoteを読んでみる。
コンテストに応募されてる作品や気に入っているタグを追いかけて、あたらしいnoterさんと出会ってみる。

そして「スキ」を押してみる。
コメントするより気軽にできるのだから、ぽちっと「スキ」ボタンを押すだけだから、コメントするより簡単なはず。もっと気軽に「スキ」を押していい。

初めてイベント+交流会に参加して、おもしろかった

他の方が、どういった視点をもって書いているか。読みながら、何を思っているか。何をきっかけにして心が動いているのか。
それを知って、自分の知らない思考のルートが見えて、おもしろくなった。

違っているとわかれば、いつものものも別のものに見えはじまる。外を見るのに使っているメガネにかぶせる特殊フィルターを、何枚も手に入れたみたい。使い方はまだわからないけれど、世の中にはこんな特殊フィルターがあったのかと驚いて、目の前にかざしてみてるような気分。

「おもしろい」って、わーきゃーとファンになるようなおかしみだけじゃない。自分以外の誰かと自分との違いを知って、ほおっと納得するような、感じ入るものにも使う。その感じ入るようなおもしろさを、イベントと交流会のなかで、何度も感じる。

ほんと。おもしろかった。

ありがとうございました

たくさんの人と会って、たくさんのnoteを読んで。準備してくれて、おはなしできた(おはなしを聞けた)時間。
声を聴いて、動いている姿を見て。「人」を感じた時間。

眠気と電池残量に負けて、途中退室したことを少し残念に思ってる。次は充電かんぺきに、のぞみたい。

昨夜お目にかかれた皆様に。ありがとうございました。
おはなしできたこと、おはなし聞かせてもらえたこと。あの場に居られたことが、とても嬉しかったです。

(蛇足)

▽レーダーチャート診断ver2を受けた後で、自分の3か月を振り返ったときのおはなし。

今回ver.2からのSNS症候群診断。その質問や原典読んで、SNSと自分の関係を再確認した。そのあとの、記録。


自分の書く文章へのフィードバック、されたいかな。どうかな。
自分が読んで、誰かに感想伝えたいかな、どうかな。

まだ、読むことも書くことも。はっきり意図して外にむかう自信は持てないけれど。自分のペースで噛みしめながら、やり続ける気持ちは持っている。

雲のなかで、ぼんやりひかるおつきさまみたい。もわんと、あいまいで。まだ形が見えきらない。自分が育てようとしている”何か”があると覚えておこう。いつか、くっきりとみえるときがくる。

さて。半年後、自分が何を視ているか。どう行動しているか。
ちょっとだけ、未来のじぶんをたのしみにする。

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