おにぎりのおばあさんに(感謝を伝えたいおはなし)
とある地方で大雨の後に道路の修繕工事を担当したころのお話。そこは山の奥にある集落で、近くにはスーパーもコンビニもない。近くの集落に在る民宿に調査員10名ほどが分かれて泊まり、それぞれの宿で昼食をつくってもらって工事現場に通っていた。
まだ学生気分も抜けない頃、とにかくお腹がすいて仕方がない年齢。多めに昼食を作ってもらっても、それでも足りない。民宿のおばさんからお腹を空かせている若い衆がいると話を聞いたからと、おにぎりを持って上がってきてくれるおばあさんがいた。
おばあさんのおにぎりは、とにかく大きい。塩がびっちりと効いていて、ごはんに混ぜる具は日によって変わる。自家製だという塩からい漬物を刻んでジャムの空きびんに詰めたものも、手ぬぐいに一緒に包んである。
これは山仕事をしていたおじいさんにも持たせていたのと同じだと懐かしそう。よちよちと坂道を上がってきてくれていた。おじいさんが食べ終わるのも、横で話しながら待っていたからと食べているわたしの横で話し続ける。おじいさんと過ごした日のこと、おばあさんの子どもたちのこと、山の集落に人が多かった頃のこと。そして、わたしが食べ終えるまで、話をしながら目を細めて話を続ける。
大きなおにぎりをわたしが食べ終えると、おばあさんは手ぬぐいをつかんで山道を降りていく。ときどき、わたしの車に乗って家まで送った。
ある日。おばあさんのいた集落のあたりで、夜間測定をすることになった。騒音や振動をはかる機械や記録するための計器をつないで、山の集落の周り数か所で数日間、測り続けるという仕事だ。昼も夜も、24時間ずっとはかりつづける。
いつもはまっくらで、シカやイノシシくらいしか歩き回らないはずの集落の夜。でも、その数日の間は測定の仕事をする作業員が歩き回ることになる。
集落に住む人を驚かせてもいけないからと、周辺の集落に夜間調査の説明文をもってごあいさつに回った。あのおばあさんの家にも回った。おばあさんは、その日、留守になっていたから、案内文をポストに入れた。
その半月後、予定していたとおり、夜間の調査をした。数か所ある機械設置地点を二人組でぐるぐると回る。気温を見ながら機械をカイロであたためたり、データの確認をしたり。測定や記録につかっている機械がきちんと動いているか、確認しながら夜を過ごす。
明け方ちかくなり、眠気と空腹と戦いながら機械を眺めていたら、誰かが近づいてきた。交代の時間にはまだ早い。山道を眺めると、あのおにぎりのおばあさんが上がってきていた。よちよちと用心深く足元を踏みしめて、手には手ぬぐいづつみを持っていた。
こんなに朝も早くから、おにぎりをもってきてくれたのか。とても驚いた。
今回は、音を測っているから、おばあさんと話をすることはできない。あとで家に送りますからと、車を置いてある離れた場所で待ってもらうことにした。おばあさんは笑って軽く手をあげ、山道を戻っていった。
朝が来て、交代の同僚も上がってきて。わたしは宿に戻ることにした。おばあさんは、もう帰ってしまったようで車のところには居なかった。
仮眠をとって昼を過ぎたころ、おばあさんの家を訪ねてみた。きょうも、家におばあさんはいない。山に在ると聞いた畑に上がってみたけれど、そこにもいない。朝、渡してくれようとしていたおにぎりのお礼だけでも伝えたかったのに。
集落の下にとめてあった車に戻る途中、その集落の人に会った。おばあさんにおにぎりをもらっていた話とお礼をつたえてもらおうと話しかけたら、驚かれた。
「あの家には、もうだれもいないよ。たぶん、おにぎりは〇〇さんのだと思うけど、葬式出したからもう会えないよ」
ひと月前に来たときは、まだおばあさんは元気でいて、おにぎりを作って工事現場まであがれたかもしれない。でも、半月前には病院に入っていて数日前に葬式を出したという。だから、今朝は、もういない。
……今朝、みかけたおばあさんはどうしたのだろう。最後に、おにぎりを持ってきてくれたのだろうか。顔を見せに来てくれたのだろうか。
道路の修繕工事が始まる頃には、わたしの担当する仕事はおわりになる。数回、あの集落近くの現場に参加したけれど、あの後、おにぎりのおばあさんには会わなかった。
あの集落の近くを通るたび、あのおばあさんに会いたいなと思う。
あの塩の効いた大きなおにぎりの入った手ぬぐいづつみを持って、よちよちと上がってくるおばあさんの姿を思い出す。そして、食べているわたしをおもしろそうに嬉しそうに、目を細めて見ていた顔を思い出す。
最後に会えた、あの朝に戻れるなら、おにぎりをいつもありがとうと伝えたかった。もう一度あえたなら、会えてうれしかったと、おにぎりがおいしかった、話を聞けてたのしかったと伝えたかった。でも、たぶん。きっと。もう会えない。
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