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お地蔵さんのいる山道で(時間を超えたおはなし)

カーテンにうつる光がオレンジ色になってきた。じんわりと夜が顔をのぞかせている。ほんのりと温かな色合いの光を見ると、神隠しから今の場所に戻ってきたときのことを思い出す。

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そのときも、日の光がオレンジ色になり始めた頃合いだった。

お昼前にお地蔵さんのいる山道に入ったけれど、気づいたらもう夕方で。お腹すいたなあと、寺の本堂の裏にあった山道から境内におりてきた。すると、地域の消防団のおじちゃんたちがそこにいて。怖い顔をしてわたしをもみくちゃにした。何が起きていたかわからなかった。遅くなってしまったから、怒られているのかと思った。

ぽかんとしていたら、寺まで連れてきてくれたおばあさんが泣きながら頭をなでてくれた。

「どこにいたの。3日もよくがんばったね。お腹はすいてない?家に帰ろうね」

寺の裏にある山道には、お地蔵さんが八十八体まつられている。ぽつんぽつんと距離を置いてまつられてあるお地蔵さんは、全てお参りするとありがたいご利益があるという。山道を1周しすべてのお地蔵さんに手を合わせ終えるのは早くても1時間。足腰の弱いひとなら2時間と少し。

私の住んでいた地区では、何かの願い事がある時や身近な人の月命日にそのお地蔵さんたちのお参りをしていた。ひとつのお地蔵さんに、一つまみの米か硬貨を置いて、目をつぶって手を合わせる。そのことを八十八体のお地蔵さんのそれぞれに、繰り返して手を合わせていく。

さすがに子ども一人でお参りするのは怒られるから、近所のおばあさんがお寺に行くとき、一緒につれて行ってもらってお参りをしていた。

そのおばあさんは、本堂や仏殿などに花を活けることを自分の使命としている人だった。たくさんの花を抱えて本堂に向かう階段を上がる。そのお手伝いをするという名目で、わたしも一緒につれて行ってもらっていた。

その日も、花を活けるからと寺に出かけるおばあさんについていった。いつもはお地蔵さんまでまわらないおばあさんも、わたしが行くときはお地蔵さんの山道へ一緒にいってくれる。

お地蔵さんにお供えする米の袋は私がにぎって、おばあさんの後ろからお地蔵さんをお参りしていたはずだった。

手を合わせながら、いくつかのお地蔵さんの前を過ぎた時。おばあさんとはぐれた。道は1本で、うねっと曲がって入るけれど分かれ道なんてどこにもない。それなのに、おばあさんが消えた。

昼ごはんの後に来たから、まだ夕方までに時間はある。それに、おばあさんは今日、本堂に花を活けるからと住職さんに花を預けていくのも見た。もしかしたら、わたしにお供えの袋を渡してあるから、途中でお参りを終わって先に行ったのかもしれない。

おばあさんのかわりに、二人分。お地蔵さんにちゃんとおまいりしよう。

さっきよりは丁寧に。手を合わせて。お地蔵さんひとつひとつに米をお供えしていく。すべて回ったら、ずいぶんと時間がたった。お腹もすいてきた。本堂で住職さんがおやつをくれるといいな。

のんびりと山道を出たら、消防団のおじさんたちに囲まれた。びっくりしたし、ちょっとこわかった。

「夜はどこにいたの。山道からどこへ消えたの」

??よくわからないことをきかれた。夜なんてどこにも来ていない。それなのに、おじさんたちは夜が2回あったという。山道に沿ってお地蔵さんを拝みながら降りてきたから、どこにも消えていないというと、うそをつくなと怒られた。

おじさんたちは、山道を何周も探して。周りの山も見に行って。寺からわたしの住んでいた集落までの道もみんなで探していたという。それも、今日で3日目らしい。

わたしは、お地蔵さんを拝んでいただけで。夜は一度も過ごしていない。

結局、住職さんのおじいさんが出てきて「お地蔵さんのいる山だから、不思議なこともあるかもしれない。天狗さんがついてきたのかもしれないから」ということになり、よくわからないまま家に帰った。

しばらくは、天狗につれて行かれた子どもだと言われ。不思議がられたり、気味悪がられたりした。

その噂が消えたころ、また。お地蔵さんの山道へお参りに行った。あれからおばあさんは私を寺につれて行ってくれなくなったので、寺の下に住んでいたおばさんとお参りに行った。もう小学生になっていたのに手をつながれて山道を歩いた。

どこにも、分かれ道はなかった。山道を1周したら1時間ほどで出口に出た。

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今でも、あの時のことは何だったのだろうと思う。時間の流れ方が自分と周りで違っていて、わたしだけ2日少なかったのか、まわりが2日多かったのか。

天狗が出たのか。神隠しだったのか。理由はよくわからないけれど、不思議な経験だった。

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