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2021/7/21-22(木祝)最強の者にのみ課された過酷なるルール


さらに昨日の続き

「弱いって言ったって相手は同じ相撲取りじゃないか」それも事実です。私だって本心ではそちらの視点から大いに愚痴りたいのです。もう少し何とかしろよと。

かといって世の中はそんなに強靭にできていない、というのもまた事実です。多くの人たちは私たちが思っているよりもはるかに弱い。弱いからこそ、少しでも人より力のあるものは持つ力を常に制御しながら生きていかなければならないと思うのです。武力だけではありません、知力だってそう。

自動車が交通ルールを守るように。大人が小さい子相手に本気の喧嘩や言い負かしをしないように。

しかし。

「そうはいっても私だってそんなに強くない」「私だって必死なんだ」

そんな言い訳もまた腐るほどあちこちに転がっています。

だからと強い人たちが言い訳をもとに弱い人と同じようなルールでやりたい放題すれば弱い人たちは無抵抗に傷つけられる一方になってしまう。私たちはそれを経験で知っているからこそ、のどまで出かけた言い訳を飲み込み、多少苦しくとも自らを律するしかありません。

令和の今、SNS全盛社会、誰もがみな勝ちたがっています。ううん、違う。誰もが「負けを絶対に認めない」。負け=傷つくですから、言い方を変えれば「絶対に傷つきたくない」。そう、こう言い換えると途端に格好悪くなるんですね。

本当に強い人とは負ける時にはいさぎよく負ける人であり、負けることによって生じた傷の痛みを痛みとして受け入れる勇気と度量のある人なのだと思います。

最強の者だからこそ、弱い人たちと同じルールで戦わないのです。誰に禁止されていなくても制御のルールを自ら己に課し、頼まれてもないやせ我慢をしなければならないし、時には悔しい思いもしなければなりません。

往年の元横綱たちが築いてきたものがなんなのか今一度冷静に問い直してみませんか。品格だのなんだのと言った、単なる形式美の問題ではないはずです。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。