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【「パクリ」は有効な創作方法】

こんにちは、たまやまです。
今回はパクり上等でシナリオを考えて良いという、アナーキーな見解を共有します。
 
※もちろん、個人の主観マシマシな見解です……。


①みんな、何かしらパクってる

堂々と「パクっています!!」という方は中々いませんが、インスパイア・オマージュ・パロディとして利用している作品はあるかと思います。
かくいう私も「鬼滅の刃」「Fate」「やがて君になる」「ファイアーエムブレム」などからアイディアを頂戴し、無事に長編SRPGのシナリオを書き上げることができました。
 
もっと広い範囲で言及するなら、今までのエンタメ体験(読書・漫画・ゲーム・アニメなど)から我々は間違いなく影響を受けています。
その積み重ねをしたうえでのアウトプットなわけですから、パクっていないわけがありません。
みんな、パクっています。
 
「自分だけにしか描けない、独創的な作品を作るんだ!」
この考えは少し危険だと思います。
なぜなら、そんなものはこの世界に存在しないからです。
存在しないものを追い求めることほど酷なことはありません。
エターナる可能性が爆上がりすることでしょう。

偉大なる偉人の言葉からも引用しましょう。
「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」(パブロ・ピカソ)
「何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない」(サルバドール・ダリ)

②構造からパクリを考える

「パクるのが前提なのは分かった、でもパクった作品は面白いのか?」
 
ご存知の通り、面白いのでまったく問題ありません。
題材が似たり寄ったりでも、描く人が違うだけで雲泥の差が出るというのは直感的にも理解できるでしょう。
小説投稿サイトを見てください。
「異世界転生モノ」の作品がたくさんあります。
 
では似たり寄ったりの題材で、いったいどうやってオリジナリティを出していくのでしょうか?
シナリオは「設定」「キャラクター」「シーン」の無限の掛け合わせで出来ています。
この三つが完全に一致する作品など、真にパクってなければ存在しません。
故に、ほぼすべての作品が「オリジナリティのある作品」となるのです。
 
小説や作劇の歴史を考えると、今まで存在しなかった「キャラクター」や、描かれていない「シーン」など一つもありません。
何億冊と描かれてきた物語の中に、必ず同じようなものは存在します。
 
その中でも「目新しい」という現象は起きます。
それは「設定」「キャラクター」「シーン」がバラバラだからこそ生まれます。
一個一個はどこかで見たことあるモノでも、掛け合わせれば無限に広がる可能性があるのです。

例えば「中世ヨーロッパの世界観で戦争をする」なんて腐るほどありますが、「どのキャラクター同士が会話をして、どういうシーンを作り出すのか?」というのが作者の腕の見せどころであり、かつ一番楽しいところではないでしょうか。
 
設定が一緒であっても、物語るキャラクターがどういう立場(平民・軍人・王)なのか、どういう性格(熱血・冷静・お調子者)なのか、相手方も同じくどういうキャラクターなのか、どういうシーン(時間帯・場所・状況)なのか……。
これを掛け合わせれば、勝手にオリジナリティが生まれてきます。
もちろん、キャラクターがどういう言動をするか想定できるようにしっかり描写する必要はあるでしょうが。
 
 
勘違いしがちなのですが、読者は設定を読んでいるわけではないんですよね。
連続的に描写されるキャラクターのシーンを読んでいます。
描かれるカット一枚一枚の完成度を上げることで、優れた総体としての創作物が出来上がるのだと思います。
 
この前、制作中の自作で章ごとの概要をまとめたのですが「なんかイマイチ面白くないな……」ってなったんですよね。
これは当たり前の話で、概要が面白い必要はまったくなく、シーンが面白ければよいのですから。
優れた小説家は頭の中にシーンの映像を浮かべながら書くともよく言います。
 
また、シナリオの構成で言えば「三幕式」「序破急」「起承転結」といった有名な書き方の型も存在します。
「ファンタジー」「SF」「サスペンス」「ホラー」「ジュブナイル」「日常」「戦記」なども創作物の型といえるでしょう。
 
人間は型に嵌めるのが好きな生き物。
何をつくろうが、絶対にカテゴライズされるのです。

おわりに

「パクリは正義!」ということで、どんどんパクりましょう。
パクりたい要素は適宜アイディアとして貯めておき、時が来たら解放する。
完全なパクリさえしなければOK(線引きは難しいですが……)。
結局、自分で「書きたい!」と思えるものを感性に従って書けばいいのです。


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