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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『千代女』太宰治著~

太宰得意の「女語り」の作品。
そのせいもあってか、『斜陽』に似ていると感じた。
主人公は和子。『斜陽』ではかず子。それぞれに弟がいて、悪い仲間の影響を受ける。
また最後に和子が岩見先生に「七年前の天才少女をお見捨てなく」と手紙を書いたくだりは、太宰が川端康成に手紙を書いた一件にも似ていると感じた。
 
急に有名になると、周りの見る目が変わる。同級生の友人たちはまず羨望を感じ、その次に嫉妬を覚える。大人たちはそれに便乗しようとする。
もともと和子は欲のない子どもだった。ピュアであった、子どもらしさがあった、ということが、「お使い」や「春日町」という作品の入選につながったのだと思う。和子にとってみれば、感じたものをそのまま書いただけに過ぎなかったのかもしれない。
それが入選を期に、あまりの大きな変化に辟易し、人間嫌いになり、文章を書くことも嫌になってしまう。
 
そもそも、和子には才能というか、文章を書くことについてのセンス(原石)はあったと思う。問題は、ピュアであり過ぎるがゆえに、そのセンスを意欲的に磨き続けることをしてこなかったことにある。そこに、おじさんやら、先生やら、母親やら、次々と大人の思いや都合が降りかかってくる。
和子も期待に応えようと、進まぬ筆を無理に進めようとするが、もはやその段階では、和子のセンスの原石は粉々に砕け散ってしまっていた。
ここに「文章イップス」(文章が書けなくなってしまう)が確立した。
 
パターナリズム(父権的温情主義)は子どもの才能と意欲を無くしてしまう。
大切なのは、楽しく書くことの環境づくりであったのに、大人たちの「欲」が和子の伸びしろを無くしてしまったということだ。さらにはそれが和子の精神にも異常をきたそうとしている。
そう考えると、この『千代女』という作品は文芸作品であるとともに、これから大人になろうとする成長期の子育てにおける反面教師としていろいろな考察を与えてくれるようにも思う。


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