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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『佐々木の場合』志賀直哉著~

「僕(佐々木)」が「君」に語りかけた恋愛ケーススタディのように感じた。
このケースを聞いて、「自分(=君)」がコメントするという内容である。
この作品のように、本文(真ん中部分)と、最初・最後と時制が異なるのは『冬の往来』にも似ている。しかもそれぞれ街中での出会いが主人公を困惑させるというストーリー。
ただ違うのは、『佐々木の場合』の主人公・佐々木はエゴイストであるのに対して、『冬の往来』の中津は優柔不断であったということか。
 
興味深いのは、最後の「自分」の見解である。極めて冷静に、的確にこのケースをとらえている。
(引用はじめ)
佐々木は今その女の心をさえぎっているものは紋切り型な道義心と犠牲心とで、それを取り除く事が出来れば問題は解決すると思っているらしい。そしてその道義心と犠牲心に余りに価値を認めない点が、佐々木も可哀想だが、自分には少し同情できなかった。(新潮文庫P24)
(引用おわり)
確かに自分も、富のお嬢様に対する道義心と犠牲心を、あまり価値あるものとは感じていなかったが、あまりにも佐々木の考え方は安直であったととらえている。
エゴイストであるがゆえの、自分勝手さ、独りよがりと分析している。
 
またその現状分析を受けての考察も見事である。
(引用はじめ)
然し佐々木の妻になる事が必ずしもその女の幸福を増す事になるとは自分は考えない。佐々木が或幸福を与えるだろう事は佐々木自身が信じている如く確かかも知れない。然し同時にその女が今持っている或幸福を捨てねばならぬ事も確かだ。しかも佐々木には女の今持っている幸福が如何ものかは本統に解っていないと云う気がする。(P25)
(引用終わり)
 
そして一番最後は「自分は、それで、何と云っていいか分からなかった」(P25)で結んでいる。
佐々木に対する答えは自分の中では出ているが、佐々木の気持ちを思う心優しさ。
すばらしい「ケースのまとめ」であると思う。

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