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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『「甘え」の構造』土居健郎著~

50年以上も前に出版され、いまだ人気が衰えていない。
ある心理学テキストによると、「日本人の『甘え』という考え方とともに、日本人による日本人の人格構造を指摘したもの」とある。日本人独特の人格形成の背景にあるものとして「甘え」はとらえられている。著書の根深い人気は、こうした日本人論的なところにもあるのかもしれない。
 
そもそも「甘え」とは、一般に「他者に愛され、他者の庇護のもとに自由に振る舞いたいという欲求、感情」を意味している。著書の中ではもっと深い所にとらえているが、この定義を持って考えると、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に似ている。マゾヒズム的傾向を持つ個人が、自由、安定・帰属を求めるために、サディズム的傾向を持つ権力者に支配されることを望む、というものである。
「甘え」は日本人的な特質というとらえ方の一方で、勤勉な国民性・抑圧的な時代背景や環境の中から生まれやすい、人間の中に潜む性質であるようにも感じた。
 
ただ「甘え」は罪悪か。特に今日のようなストレス社会では一概に否定できるものではない。逆に、自分を守るために現実やその場から「逃げる」勇気も必要である。そしていろいろなサポートを受けながら、体制を整えることも考えるべきではないだろうか。
例えば家族介護。公的制度の活用が必要なのはいうまでもない。それ以外にも「コンフィデンス(介護の愚痴をこぼせる信頼できる人)」や「コンパニオン(介護を忘れバカをいいながらストレス発散に協力してくれる相手)」(平山亮『迫りくる「息子介護」の時代』光文社新書)などの人的なサポート環境をつくることでいい意味の現実逃避することも有効である。それは決して「甘え」ではない。
 
著者は巻末に次のように述べている。
「皆一様に子供のごとく甘えているのは、確かに人類的な退行現象といわねばならぬが、(中略)この人類的退行現象が死に至る病か、それとも新たな健康への前奏曲かという点について予言できるものはだれもいないであろう」と。
ケース・バイ・ケースで、反省しながら前進していくことが求められているのではないだろうか。

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