見出し画像

落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『草枕』夏目漱石著~

久々に読み返した。
が、前回(30代の頃?)に読んだ記憶はまったく。それだけ感動が薄かったのかもしれない。
ただ、
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
この言葉だけは、「草枕」の記載は別にして、かすかに頭の中にはあった。
 
漢文的なところもあり、意外に読み通すのに時間はかかったが、注解を確認しながら読んでいくと、とてもシンプルな面白い内容であったと思った。
描写のすばらしさは夏目漱石の特徴なのかもしれない。
絵を描く感覚で、あるいは絵を描きながら小説を書いていたのだろう。
だからイメージビデオをみているかのように話が進んでいく。デジタル思考の小説か。
ちょっと村上春樹の小説が似ているように思った。
 
特に面白さを感じたのは大きく2つ。
まずは主人公「余」である。
「ぼっちゃん」は「おれ」。
それぞれに一人称の視点で書かれている。
最近読んだ「三四郎」や「それから」などは三人称的な視点から構成されている。
そこにどういう意味があるのか。
主人公の心の機微は一人称の方がわかりやすいからか。
そう考えると、「草枕」はエッセイ的な小説なのかもしれない。
 
また、ストーリーが奇異である。
正直言って、なかなか「那美」の存在が理解できなかった。
床屋の主人から「注意するように」と言われていることもあったが、出戻りだから「余」を誘っているのかとも思っていた。何となく自由奔放な女性のように思えた。
ただ、最後の最後に、応召されて満州に出向く青年と、満州に出稼ぎに行かねばならない中年男性(元旦那)に対する「憐れ」な表情。
ここがデジタル思考の小説のクライマックスのように感じた。
やはり那美も別れは悲しい。普通の女性だった、ということだ。
それまでの言動からなかなか想像つかなかった。
本当に最後まで理解の難しい書であった。
(もっとも読む側の力量の問題が一番大きいとは思うが)

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,671件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?