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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ著~

<<感想>>
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(1・2)を書いたブレイディみちこ氏の著。この2冊も読んだが、ご自身の息子さんの視点から多様性とそれを支える制度・環境が書かれていた。
今回の「他者の靴を履く」も多様性がテーマではあるが、今度はご自身の視点から、「他者の靴を履く」という表現に変えてのメッセージを発信している。
著書の中には、多様性についての各界の識者のコメントを交えながら考察されたところも多いため、時として哲学的となり難しさも感じたが、著者の考える多様性についての「深さ」を感じた。
 
ポイントはサブテーマ「アナーキック・エンパシー」にあると感じた。
まず著者の考える「エンパシー」とは、「コグニティブ・エンパシー」であるという。つまり「その人物がどう感じているかを含んだ他者の考えについて、より全面的で正確な知識を持つこと」であり、「他者の考えや感情を想像する力であり、その能力」のこと。
「シンパシー」とよく似ているが、シンパシーは感情や考え・行動などをあらわすものであって、エンパシーは「(身につけた)能力」である。ここが決定的に異なる。であるがゆえに、エンパシーは教育や個人の努力などによって後天的に身につけられるものと理解している。
 
著者の最も強い主張は、「アナーキー」と「エンパシー」をセットで考えること。
「アナーキー」を一言で言えば「あらゆる支配への拒否」か。ただその本来の定義からすると「自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくこと」という、ある種のマインドセットを意味するものであるという。
「他者の靴を履く」というと「他者の顔色を窺うこと」と勘違いされがちである。他者の考えや感情を理解することは重要である。が、逆転移してしまい、行き過ぎてしまうと「自己を見失う」ということになりかねない。
よく「社会の迷惑になる行動は慎め」という。また「個人を大切にしろ」ともいう。利己的であるか利他的であるか。そこは相反するものではない。「『わがまま』を認めて許し合える」ことが重要であると著者は語っている。
「他者の靴を履く」ということも同じ。アナーキーとエンパシーがバランスよくつながっていかなければならない。「自分」という軸を大切にしながら相手を理解し寄り添う。そこに柳田邦男氏のいう「人称アプローチ」を具体化するヒントがあるように感じた。
まさにケアの現場に求められるコンセプトであると感じた。

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