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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ著 村上春樹訳~
誤解されやすいタイプ
「あざましい自己顕示欲の権化」
「意味のない空疎な人生を送る人間」
「度しがたいまやかし」
一時ケンカした際に主人公の「僕」がホリーに対して感じたイメージは、おそらくほとんどの登場人物も抱いていたのだろう。許しがたい「嫌な奴」・・・・・・。
しかし、「僕」はホリーが姿を消した後、寂しさを感じる。思慕の念が募ってくる。
ある意味で、日常生活における「愛情」というスパイス。それがホリーではなかったのではないか。
ここででてくる「ティファニー」というワードはホリーにとっての「憧れ」の象徴だろう。
新人女優としてあと一歩のところまで来ていた。
しかし、現実には彼女は「猫」である。「ごろつき」と目されている。
やんちゃなイメージが十分に感じる。
一方で、彼女はとてもナイーブであると思う。
「ごろつき」であるがゆえのアングスト(不安感)。
それがやんちゃな彼女の言動の背景にあるのだろう。
ホリーは決して「嫌な奴」ではない。
「不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がましよ」というコメントにもあるように、自分の気持ちに正直なとても「いい奴」だ。
ただ日々の言動からどうしても「誤解されやすいタイプ」なだけだ。
そこは自業自得なのかもしれない。
「誤解されやすいタイプ」はどの世界にもいる。
自己主張が強すぎるがゆえに、なかなか理解されないことが多い、
本来そこは個性として寛容すべきであると思うが。
ホリーの場合は、その結果がとても気の毒であった。
もっとも新天地でどういう生活をすることになったかは不明だが。
彼女は、国外脱出してよかったのかもしれない。
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