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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『Kの昇天 -或はKの溺死』梶井基次郎著~

テーマ:「対比」の妙

この小説は、Wikipediaによると、「夜の海岸で満月の光に象られた自分の影から出現するドッペルゲンガーに導かれて昇天してゆく青年Kについて物語る書簡体形式の作品。自我の分裂と魂の昇天という神秘的な主題の中に、病死の運命を薄々感じ取っていた基次郎の切ない思いが籠っているファンタジックでミステリー風な短編である。月を題材にした詩的作品・幻想文学としても人気が高く、アンソロジー集で取り上げられる名作でもある」とある。
10ページほどの短い小説だが、見どころ満載であった。
 
「K」というのは梶井自身のことなんだろうな。
残り少ないと感じている病弱な自分の命。それを月への昇天という形で表しているのだろうな。
梶井の声なき声を本を読みながら感じた。
 
特に注目したのは、「ドッペルゲンガー」という言葉。
注釈によると、この言葉は「(同一人物でしかも)同時に違った場所に現れる人」のことで、「第二の自我、生霊のたぐい」とされている。まさに実体のある自己との対比をあらわす隠喩表現であり、この奇妙な作品がさらに魅力を増すキーワードであると思う。
 
もともと梶井は描写がとても独特であると感じていたが、この作品の対比表現は実に興味深い。
「月と太陽」「影と実体」「魂と形骸」「K君とイカルス」・・・・・・。
あるいはもっとあったかもしれない。
 
この対比の妙をさらに考えてみると、どうやら梶井自身の生活に対する姿勢も関係しているようだ。
文芸評論家の淀野隆三の解説によると、梶井には「生活に立ち向かう傾向」と「頽廃にむかう傾向」があったという。さらにそれは両親に影響を受けているとのこと。前者は教養ある賢夫人であった母に、後者は酒好きで酒の上での不始末がたびたびあった父によるものとしている。
 
そう考えると、この作品は梶井自身の魂のほとばしりなのかもしれない。
梶井の魂が書かせた作品と言えないか。まさに「ドッペルゲンガー」ではないかと。

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