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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『黒い雨』井伏鱒二著~

「記録文学」風の作品。
主人公・閑間重松の「被爆日記」(清書)をはじめ、妻シゲ子による手記「広島にて戦時下に於ける食生活」、「広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記」ならびに岩竹夫人の回想、を中心に話は展開する。
原爆投下後の壊滅的な広島市内の惨状と悲嘆の中にある被爆した市民。施しらしい施しもない病院や収容所。手記の記載からみてとれるように、まさに地獄絵のようだ。
そうした中で、姪・矢須子の原爆病治癒のために東奔西走する重松の姿は実に印象的であった。
 
そもそも矢須子は「黒い雨」を浴びたことで、原爆病の症状があらわれた。
タイトルからして「黒い雨」というのは、この作品のキーワードであり、それについてもっと深い突っ込みがあるものと思っていた。それが意外にもその直接的な表記はごくわずか。
それが読み進めるにしたがって、物理的な放射能の雨だけでなく、爆風や見えない灰による被害や人々の苦悩・不安そのものも「黒い雨」としてあらわされているように思った。
治療法もなければ薬もない。そんな中で、下痢をしたり髪の毛が抜けたりした時には不安はつのるばかり。お灸をしたり、トマトを食べたり、アロエを食べたり。科学的な根拠なしにただただうろたえるだけである。
そうした極限状況にある人間の心も「黒い雨」として描き出されていると思う。
 
一方で「白い虹」という言葉もあった。
作品の中では「悪いことが起こる前兆」とされていた。(工場長は2.26事件直前に白い虹をみたという)。しかし、重松がみた「白い虹」は敗戦によって日本が民主国家になるという意味で、「希望」をあらわすものだったように思う。
 
「雨から虹」へ。「黒から白、そして五彩へ」
作品の中では、矢須子の完治を五彩の虹としているが、これは平和を希求するものでもあると思っている。
今日のわれわれの平和な暮らしも、数多くの方々の犠牲の上に成り立っている。
作品を通じて改めて深く認識した次第である。
 

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