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根気づくでお出でなさい

新潮社から『考える人』という雑誌が出ていることを知ったのは、恥ずかしながら大学を卒業する1年前の2017年のこと。plain living & high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)を編集理念に掲げる本で、梨木香歩のインタビューや小林秀雄のエッセイなど、私の好きな書き手ばかり登場する、まさに私好みの雑誌だった。

先日、なんとなく気になった号をバリューブックスから購入した。

特集は、「歩く」。歩く速さでしか見えないもの、捗らない思考がある。いろんな角度からそれに気づかせてくれた特集だった。今朝改めて読んでいて、とんでもない雑誌を休刊させてしまったのではないかと急に不安な気持ちに襲われた。根強いファンと作り手の熱い想いから、休刊後もWebで展開されているが、なにしろ本には紙の重さ分の言葉の重みがあった。

もう一度理念を読み返す。plain living & high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)。休刊どころか、これからの時代にこそ必要な本だったと思わずにはいられない。

日々、様々なコンテクストから語られる、様々な人の言葉を目にする。いろんな意見を前に、否応なく自分の足下はぐらつく。そんな時、地にしっかりと足をつけさせてくれるのは、自分の頭で考える力だけだ。

それがあれば、数多の言葉や意見に対して、耳を貸すに値する言葉かどうかを見分けられるようになる。

どんなに外形は有名な人の言葉であっても。大きな出版社から出ている本であっても。大切なのは、その人の言葉が、誠実なものかどうか。その書き手は、どういう態度で人と向き合っているのかを、曇りなき眼で見抜くこと。

もしその人の言葉が耳を貸すに値しない言葉であると思えば、その言葉に自分が傷つく必要などないということ。

話しは変わるが、大学を卒業するとき、「馬になるな、牛になれ」という言葉をゼミの先生からいただいた。夏目漱石の書簡のことを言っていると、すぐにピンときた。

死を目前にした夏目漱石が、若かりし芥川龍之介と久米正雄の両者に送ったとされる書簡に、このような言葉がある。

牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。     僕のような老猾なものでも、
只今牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。

あせっては不可ません。
頭を悪くしては不可ません。
根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。
それ丈です。

大学時代のゼミで、私は牛になることの大切さを学んだ。それは、奨学金以上の学びに値する時間だった。

生きること死ぬこと、人をゆるすこと、答えのない物事について、本を読み、みんなでうんと悩み、脳汁垂れるまで考え尽くした日々。

ゼミの先生の背中。元気かなぁ。

そう、焦ってはいけない。私たちは今こそ、牛になって、歩く速度で物事を見るのだ。

夕刻、運動不足解消を兼ねて近くの冬の森を歩いて来た。カメラも持たず、ただポツポツ歩いた。雪山は静かで、美しい。

歩みをとめ顔を上げると、アカゲラが私の侵入を警戒するかのよう、軽快に鳴いて近くの木に止まった。太陽は遠くの日高山脈に、今にも沈むところだ。目を閉じれば木が揺れ、擦るる音が聞こえる。歩く速度でさえ速すぎて、見落としてしまうことが世界にはたくさんある。

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