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宇多田ヒカルと夜の東京

 初期~中期に表現していた、「夜の東京」、「夜に東京でドライブ」のような雰囲気がたまらん。
 どこか流れる孤独。埋められない喪失感。刺さるような愛への渇望。
 洗練されている。そして、ぐちゃぐちゃと、どろどろとしている。

 多分年齢を重ねるたび、表現するものに「普遍性」がまとっていく。それによって、限られた「場所性」は失われていく。「いま、ここ」ではなくなっていく。今の椎名林檎が、昔のように具体的な東京や地元福岡の地名を使うことが無いように。

 普遍性を身につけるということは、円熟さが増してるということかもしれないのだけれど、それはそうとして、勢いと脆さを持った初期の楽曲や作品が一番良かったという評価を受けやすいのは、あるいは必然とも言えるかもしれない。一番インパクトが強いからだ。

 一人の夜に宇多田ヒカルの初期楽曲を聞いていると、胸がじんわりとしてくる。痛みもある。去年の冬、一人で夜の新宿を散歩した時を思いだす。その時みたいな胸の痛みだ。



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