「心配」なのはあなたのこと忘れそうなこと
ふとした時に頭をよぎる、風景やらシーンやら、表情やら投げかけられる言葉やら、そういう思い出みたいなものがそこかしこにありまして。
上記はそういう類の、ひとつ。心くすぐる歌詞であります。
かつてGO!GO!7188というバンドがありまして、当時学生時代、いかような手段であったか定かじゃありませんが、友人からmp3だったかなんだったかのデータを、個人利用の範囲でなんらか聞かせて貰ったんだとぼんやりと。
「かつて」とはどれほど遡った以前なのかとGoogleを叩くと、なんと20年をも超える以前の曲でした。
いや、「なんと」とか書きながらも、昨今自分のふとしたそういう思い出が、4半世紀近く前に身についたものであったことなんてままあるもんで、これは少々誇張に過ぎた感があります。
しかるに古きに関してはさして驚くほどでもないのですが、なんと言うか、これがそれほど長らく心に刻まれて影響しているという意味で、刺激のある歌詞であるという「なんと」です。
2020年12月10日~2021年12月10日の1年間。
毎日noteを書くと決めて、どんなことが書きたいかな、読者さんはどんなことを読んでみたいかな、なんてことを日常頭に浮かべながらつらつらと、日々、日々。欠かさず書いて、それなりに楽しい毎日を過ごしていました。そういう日々に慣れていました。
続けていたら、続けているという事実に自身のアイデンティティを抱きはじめます。
毎日書いて、フォロワーさんがどれだけいて、どれほどのPVがあって、どれほどのいいねがあって。そういうことがよりどころになってきます。だいたいがその数字をもって、明示にせよ黙示にせよ、メンタル的にいきりだす訳です。
書くということ、稼ぐということ、あるいは語弊なくですがPVやいいねを獲得することそのものに喜びを感じていることから、幾分か飛躍して、そこへの承認に欲求のベクトルが傾いてくるんです。すなわち「わたしちょっとすごくない?」と自慢しだすんですよね。
良し悪し別にして、これはもう仕方ないというか。
大抵のこういう快楽には耐性がありますから、一言二言書いて満足していた時期が経過して、もっともっと、書いて書いて成果ももっと、となった後には、およそそこへの付加価値を求めだすのが世の常です。耳がたこ焼き屋のフランチャイズ展開で大成功を収めるくらいに食傷気味のマズローさんだって近いことを言うておる訳です。
しかしながら、そういう精神性というものをあまり善しとしない性分でして。別に自慢まではしないものの、続けているというその事実になんらかの価値を見出しそうになってだらだらとしていることに嫌悪感が、ふつ、ふつ、と。大体そういう無意味な虚栄心みたいなものを身にまといそうになったら断ち切りたくなるんですよね。
で、それを切りよくピタッと止めて4か月。
書かない毎日もそれなりに楽しくて、観たいと思っていたNetflix作品をこれでもかと観まくったり、つまみ食い然とインプットしていた家計に関する知識を体系立てておこうとFPの勉強に落とし込んでみたり、ただひたすらyoutubeを(牛宮城関連やら、中田敦彦のYouTube大学を無目的に)垂れ流してみたり。そういう日々にもとうに慣れてきていました。
すると、今度は書いていないということが意味を持ち始める訳です。
・毎日書いてた時はキーボードも軽かったのに辞めた瞬間何にも頭に浮かばなくなる。それって逆に凄くない?
・再開しようと思えばいつでもできる。なぜなら1年も続けたことがあるんだから。
・数か月も書いていないんだから次書くときは余程面白いものを書かないと自分が満足しない。下手なものは書けない。
とかね。
彼がいないときは、彼がいない歴を誇り出し。
彼がいるときは、彼との交際期間を誇りだす。
今日はそんな、思い込みでしかない自身のアイデンティティを足蹴にする作業であり、それに執着する元カノにLINEでメッセージでも送ることさながら、久々にnote書いてない期間の、無価値なアイデンティティを断ち切るがごとく、スタバで土曜のセブンスコードを掻き鳴らしてる訳です。
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GO!GO!7188で検索すると、のんと元GO!GO!7188ボーカルのユウがコラボしている動画が見つかった。2021年10月かな。割と新しい。 すごくうれしい。同世代を生きた人ならばきっと、垂涎的な何かがすごい。
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