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靴底と「赤い葉っぱ」
「靴底」って結構落ちているよって。
靴底を落とす友人が昔、京都のタクシー車中で突如「をんなありけり京大医学部をうけんとてまかりしが心あやまりて京都府立医科大の受験会場にきつきてなむ心がはりて川をばかちにてわたりけり」って言うもんだから、私「かちにて⁈」って反応したら、運転手がハンドル誤るほど笑ってた。教養は楽しい。
— bao (@baobabustroll) February 15, 2020
この方のtweetが興味深すぎて,読み続けていて賛同したものです。軍手にせよ,靴底にせよ,靴下にせよなんにせよが,なぜかぽつんと落ちている。一見不可解に思えるそういうことに,意識しだした瞬間に頻発して遭遇しだすことってあります。それまでは全然気づかなかったのに「意識した途端に」なんですね。
こどもの頃,呼吸に仕方を意識しだすとうまく吸ったり吐いたりできなくなる感覚ってありましたかね。言わずもがな,呼吸は普段は自律的です。反面,深呼吸なんて最たるもので意識しながらもできますね。そしてふと呼吸・呼吸・呼吸って意識しながら吸ったり吐いたりしていると,自律のさせ方を忘れて呼吸が困難になってしまう。
「落ちた靴底に遭遇しまくる理論」は,なんとなくそれに近さを感じています。
呼吸の自律は普段気にも留めないけれど,意識しだすとそこにあり,意識しだすと思い出すことが困難になる。靴底もそうで。落ちている量はずっと一緒だけれど,意識しだすとやたらと遭遇しだして,もはや遭遇していなかったことが不思議に思えてくる。そういう類です。
で,私にとっての近年のそれは「赤い葉っぱ」です。
赤い葉っぱを意識しだして早2年。
もうそれを見るたび,赤い葉っぱ・赤い葉っぱ・赤い葉っぱ,と意識してしまって,散歩が愉快でたまりません。
かちにて。
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