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「離婚」した

離婚した。

今から数年前,どちらかに浮気やDV,薬物の使用やら精神疾患やら,有責事由があったわけでなく,いわゆる性格の不一致とでも言おうか,それで離婚した。協議離婚。

こどもはひとり。1歳。

出会って1年で結婚して,結婚後数か月で妊娠して生まれて。

およそその1年後くらいに離婚した。


親権について,面会の要件,養育費の内容,支払いが滞った際は口座を差し押さえることができる旨などを記載した公正証書をしたためて,公証役場で認証を得た。

書き手は1980年代生まれの男です。

意見が違おうとも,喧嘩しようとも,困難に見舞われようとも,しっかり向き合って,時に妥協して,折れて,時間をかけて話し合えば,どんなことだって解決できるのだと思っていた。それは「どうにかすれば説得できるという過信」と言い換えられるのかもしれない。

この考えは「相手がそれを望んでいれば」という前提がなくては成立しない。相手がそもそものコミュニケーションを根本から遮断してしまえば,説得の余地なんて簡単になくなってしまう。

相手がコミュニケーションを拒否すれば話し合いは成立しない。

ゼロには何を掛けてもってほんとうにゼロなんだ,と頭に浮かんで痛感した。

自身のあまさ,過信のおごりを恥ずかしく思った。


離婚の判断は二つの意味でつらかった。

一つめは,どんな困難でも乗り切れるという自負からか,絶対に離婚なんてしないであろうと信じていた未来が壊れたつらさ。

二つめは,養育費。月5万円×12か月×19年で,おおよそ1200万円ほどの支払いが確定するつらさ。

自業自得,こどもの為だから,一緒に生活していたら子育てにはもっとお金がかかる,そんな考えや意見があることは重々に知っているし,理解もしている。この養育費の話をすると多くの人はそのように言う。

ただ,公正証書で認証を得た養育費の決定は債務である。借金と同様である。こども,家族,生活というあったかで暖色なキーワードが,債務,借金,1200万円という冷徹で寒色のキーワードに反転する。

相手方とこどもは遠く四国にある実家のそばで暮らす。

わたしは関東に残る。

冷徹と寒色だけ残る。

1200万円の借財には「自業自得,こどもの為だから,一緒に生活していたら子育てにはもっとお金がかかる」こういう美辞麗句ではあまりあるつらさがあった。


女性というか,相手をというか,ひとのこころを誤解していたなぁという反省。

離婚前,離婚直後に支えてくれた言葉。

そのあたりをね,ずっとまとめておきたい,まとめておきたいと思っていたのだけれど,なかなか筆が進まなかった。


こういうのは書かないと書けないからね。

書きたいという思いだけでもまずは文面に起こす。

今日は書き始めるための準備,頭の整理。


こういった経験が,誰かのささえになったり,勇気となったり,慰めとなりますように。





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