美醜のアプリオリ
妥協はグサっと崩す。
6キロの土の塊を、掌(てのひら)で練って轆轤(ろくろ)でひいて、クゥッとなるほど全身でここまでたどり着いたけれど、どこかに歪みを感じることがある。数値的な差異とはちがう感覚。
裸になるくらいの覚悟があるけれど、惜しまずグサッと斬って断面をみる。ストイックな行為ではない。原因となるものが結果なのだから、創造は可笑しいのだ。結果は良し悪しだけとは限らないし、美醜はアプリオリ。
土の創造は、いつも目をつむっている。
あとがきコッチョリーノ
▶︎土の創作は目にみえない部分がいっぱいある。土を練ること、成形すること、焼成することなど、結果は、経年変化に至っても想像がつかないのです。▶︎ある人は「経験でしょ」という。工業的にはそうかもしれないけれど、創造はちがうような気がするのです。だから、何年も同じ行為をつづけ、それを仕事にしているのだと思います。▶︎オリジナルでブレンドしてもらったこの土はカプリチョーザ(移り気)なので特に扱いにくいわけで、昨晩は6キロ(本体)+4キロ(ふた)を4回も崩しては練り直しました。▶︎創造は「わたしはわたし」というくらいアプリオリなもので、いつでも初心に戻れるものなのです。▶︎日付が変わる刻、白ぶどう酒を食道に流し込み、セイロの根菜に岩塩をガリガリやって、トウガラシを添えたチキンをゆっくりカラダ全体にまわす。すべての創造は至福な時間のために。
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