上半期おまけ記事No.1 「ゲストハウスから森の野草と土鍋が待っている場所へ」 #まいにち土鍋
ゲストハウスから森の野草と土鍋が待っている場所へ
ある日、森の中で野草パーティーが開かれた
天気予報は曇りや雨マークだったけれど、近くの山々がそれをさえぎった。所用もあったので前入りしてゲストハウスに素泊まりする。背中には大きな登山用のザック。天気予報が雨マークだったこと、6月初旬は寒暖の差もあるので、レインウェア、野草摘み用の長靴やら長袖、花切りバサミ、そして野草料理の試食会でつかう食器、ゲストハウス泊まりなのでバスタオルやら洗面道具、水筒も入っている。わりとパンパンだ。
木の香り漂うゲストハウス
早朝に起きて、まだ薄暗いゲストハウスのロビーに降りてみる。どうやら客はわたしひとりであるようだ。なんて贅沢なのだろうと思う反面、申し訳なくも思った。いや、もっとみんなが泊まりにくる時代に戻さねば。強くそう思った。
カーテンを勝手に開けて良いのか迷いながら、まあいいやと、薄暗いなか、ポットに沸いているお湯でインスタントコーヒーをくるくるかき混ぜながらいただく。クッキーでも買っておけばよかったな、前の晩に朝ごはんを買っておくような店はなかったなぁと、カバンのなかを探すが、出てきたのは豆腐の燻製だけ。これをつまみにお酒でも飲もうかと買ったのだけれど、夕食に満足したし、それこそビールを買う店もなく。部屋でボウっとしていたら睡魔が襲ってきて迷いなく寝たのだった。
ホワイトボードに貼ってある町の情報をボーッと読みながら。すると「あ、暗いなかですみません」と、オーナーも起きてきてくださり、数十分だったが、古民家を改修したゲストハウスのこと、町のことなど有益なお話を聞かせてくださった。よく眠れたかという質問には、逆にロビーに降りてくる機会も逃すほど寝落ちしてしまったことを告げた。前の日は歩いて旅をしている青年が泊まりにきたそうだ。駅が見えるほど近い場所にあるので、まさに馬(人間)を休ませるには最適な場所だと、オーナーに改めて絶賛した。
さて、出発
ローカル線に数駅乗る。1・2・3番線しかないのに、上下線を乗り間違えそうになる。
地元の高校生のおしゃべりを耳にするのは心地がいい。通学時間なのだろうが、座れない学生はひとりもいない。みなさん真剣に本を読んだり教科書を開いて勉強しており感心する。ガチガチに眉をひそめてはいない。時折ともだちと話しながら、なにより涼しげな顔をしていらっしゃる。
自分の子どもが就学を無事に終えた。とにかく教育費が高いのが問題だ。見知らぬ子も含め、今まで以上に子どもたちの次の時代を考えるクセがついた。(学費を払い終え、親のポケットには小銭しか残らないという社会に呆れているからこそ、教育たるものこれでよいのか、未来を真剣に考えたい)
朝のあいさつ
大きなザックを背負いながら、雨露にぬれた朝の森をひとり歩く。まずは、通りすがりにいらっしゃる観音様に挨拶する。ザックを置いて、中から昨日この地に入ってから買った銘酒、持参した自作のぐい飲みを取り出し、ゆっくり注ぎ、手を合わせる。「おはようございます、森にお邪魔いたします」と挨拶すると「ようこそ、おひとりでよくいらっしゃいましたこと」と喜んでくださった。「あなたはちょっとはしゃいでいますね」と、心のうきうき度合いは完全に見破られた。「本当は駅から歩いてこようと思ってザック背負ってきました」(でもやっぱり天気も良くないのでそれをやめてタクシーに乗ってきた)と白状すると「なにごとも無理するのはやめなさい」という声が聞こえた。「ちょっと無理しないと進めないこともあると思うんだけど」と心の中でつぶやくと「いざという時のためにとっておきなさい、普段は無理しないこと」「どうせ到着地は変わらないのですよ」と観音様。
声が聞こえるの?
そう聞かれることが多いし、これを読んでいるかたも、そう思われるだろう。わたしには声が聞こえる。またはボウっとした残像のようなものが見える。
朝の森の散歩と野草の会
観音様に手を振って、目的の地へ。
仲間と集合して、朝の散歩でたくさんの野草を摘んだ。
京都でひっぱりだこである野草の先生をご招待しての会。友人がそれを企画してくれたので、喜び勇んで臨んだわけで。なんと、先生が朝の散歩のあと「土鍋を使ってしゃぶしゃぶをしましょう」と、めいっぱいの予定メニュー数のなかに、それを予定してくださっていると知る。心臓が飛び出そうなくらい嬉しかった。
観音様が言ってた「ちょっとはしゃいでいますね」の一言が、心のボリュームを調整してくれた。
野草の香りに包まれた幸せは、大勢の参加者を積極的に動かす効能があるのかというくらい、地元のみなさま、薬草のことをたくさんご存知な大先輩が手際よく動くものだから、わたしも見習おうと後ろをおいかけるカルガモの子みたいになった。
先生の言葉も聞き逃さないぞ、耳を火星人くらいとんがらせるのだが、なにせカルガモの子だから、ただ前の人の背を見るだけで精一杯。これも野草の香りの効能だろうか、わさわさしているのに感覚だけは研ぎ澄まされる。
第二の道にあかりが小さく灯った瞬間
野草の先生は、京都を中心にフレンチレストランや和食の料亭などに野草を卸していらっしゃる野草エキスパート。もちろんご自身とパートナーさまのお料理の腕も、唸るものばかり。
余談だが、以前の漢方講座もそうなのだが、薬草、野草どちらにしても、この2つの講座に出会うまで、どれもどこかが引っ掛かり、心のブレーキがかかっていたのだ。哲学や思想が入り込むので、中身が薄そうだったり、指導者がむだに空騒ぎしているようなタイプだと尻込みしてしまい、けっきょくイタリア生活で触れた野草の経験は日々薄まり、帰国後20年、日本のその世界に勇気をもって入り込むことができなかったのだ。
ついに、信用できる友人が企画する講座に参加することができた。友人と有能な先生がたに感謝するとともに、わたしの第二の道にあかりが小さく灯った瞬間だった。
▶︎参照「ヨモギのグリーンカレー」
▶︎参照「薬草合宿」
▶︎参照「同じ釜の飯」
土鍋コッチョリーノしゃぶしゃぶ
最後に、土鍋しゃぶしゃぶの様子。
昆布出汁と野草出汁に豚肉をくぐらせて。この5月にコラボ販売したIH調理器でも使える道具「炭かまど®︎」(215サイズ)+土鍋コッチョリーノの勇姿も嬉しい。土鍋ならば沸騰しない程度に安定温度で保温しておくことができる。
(上写真の右:お重箱に入っている野花のソース)目にもうれしい美しい野草ソースは絶品だ。今朝採った野草とホースラディッシュも利いている。しゃぶしゃぶした肉でこのソースを巻いていただく。
おまけ記事
6月4日(土)(加筆6月30日)
茹でる「土鍋コッチョリーノ4合サイズ土鍋」
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