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都会の空にあいた穴「ワタリウム美術館」

青い空が気持ちよかったので、昼休みの1時間くらいだけでもおもてに出ようかと工房を留守にする。あの、空の穴がみたくなって、青山のワタリウム美術館で開催中の「生きている東京展」に行こうと決めた。

内容の詳細は、ワタリウムのWEBサイトを参照いただきたい。開館当初からずっと思ってきたことだが、抽象的な展をわずか数行で淘汰するパブリックリレーションにも、いつも学びがある。(余談だがアーティスト坂口恭平を知ったのも数年前のワタリウムでの展覧会であり近年においても先見の目に狂いがない)

コンテンポラリーな気持ちと美術館

1990年にオープンしたワタリウムは開館30年を迎えた。アートで海外と日本をつなぐ和多利家ってすごいぞ!と学生時代は仰いでいたし、貧乏な学生身分で日本でマリオ・ボッタの建築物に入れるんだぞということで、鳥肌が立ったし、ボッタの光と影を直接浴びたときは、本気で足がガクガクした。

近くには、我が家の先祖の墓地があったり、通りを渡ったすぐ裏には、おじさんの家があっていとこも住んでいる慣れした親しんだ場所だったけれど、美術館に行くときは家族や親戚に黙っていた。だって、コンテンポラリーな気持ちだったから、逃避したかったんだもの。

パーマネントな泡と美術館

当時、街には現代美術があふれていた。

ワタリウム開館と同時期、表参道の交差点角には「東高美術館」という現代美術館がすでにあり、わたしたち学生は、副館長はじめそこで働くスタッフにかわいがってもらい、大人の世界を少しだけ見せてもらっていた。

透明で大きな泡が「コンテンポラリー」という曖昧な時代を包んでいたが、あれは「パーマネント」ではなかったんだと、あとに知る。

話は戻り、ワタリウム美術館は、企業、国公立の美術館とは違い、私設だからこその尊意もある。夏にはじまったワタリウム美術館のクラウドファンディングの応援は即決だった。(投稿日時点:終了まで残り4日)

支援の総額は、数日で達成し、留まることなく巨額に至る。支援額は、さっそくも、現在開催中の展覧会「生きている東京展」の運営経費として活用されているという。クイックな動きも爽快だ。

「パーマネント」な泡を少しでも残していきたい。

「ワタリウム美術館建築プロジェクト1985-90」
マリオ・ボッタ インタビュー+対談 ナムジュン・パイク(予告編)


都会の空にあいた穴と美術館

バブルとともに東京に現代美術があふれた時代、美大をサボろうが、自分がつくるよりすごいものがあるぞと、街の空の穴を探し歩いた。穴のむこうにある、国境のないオアシスとは何かを求めていたのかもしれない。

青空のない夜も、その穴を探しつづけた。
デザインやファッション業界人が集まる青山の小さな家庭料理やさん「台所」という店で夜ごはんのバイトをした。(▶︎現在のごはんづくりの基本はここで学んだといってもいいだろう)風変わりなおじさんがご飯をつくる店で、骨董の器と作家の器しか使わない主義だから、是非とも美大生に扱ってほしいと言っていたので、そうかと夜の空をみた。(▶︎日常のうつわの基本もここで学んだかもしれない)おじさんにもう一度会って、あの穴のお礼を言いたいけれど、検索してもヒットしない。

きょうも、空にあいた穴からは、永遠の青空と、国境のないオアシスが見えた。



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