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相手の「大変レベル」を察知し反応する

皆さま、こんにちは^^

最近、「大変だな~」と思ったことはありましたか?

ちょっとしたことでもいいですし、深い話でも、人それぞれ日々、色々なことが起こり、「大変だな~」と感じることは日常的にあるのではないでしょうか。

といっても、わざわざ人に話さない人が多いでしょうし、「大変」のレベルというのには個人差がありますよね。

例えば、翌日までに新商品のプレゼン資料を作成するように頼まれたとき、新商品に精通している人のほうが、新商品について1から調べなくてはいけない人との負担感は少ないはずです。

また、資料作りが得意な人と、そうではない人と比べたら、後者の人にとって、資料作りは「大変な作業」になることでしょう。

あるいは、仕事へのモチベーションや、性格によっても、ひとつの仕事に対する大変だと感じるレベルは個人個人で変わります。

今回、私が書きたいことは、会話の中で、相手の「大変レベル」をいちはやく察知して、それに対して気くばりをもった反応ができることの重要性です。

「昨日は、お店のポスレジのシステムが急にダウンしてしまって、結局、終電で帰ったよ」という、接客業をしている友達がいたとします。

あなたは、どのように反応しますか?

「そんな状況であれば誰だってそうなるだろう」と思う人もいれば、「それは大変でしたね」と、すぐに反応する人もいるでしょう。

正解は一つではないのですが、私自身のことを話すとすれば、こういう大変な話を聞いたときは、お母さんになった気持ちで反応しています。

友人という関係性ですし、「心配しているよ」という、「応援しているよ」という気持ちを伝えたいからです。

「終電!?それは長い一日になってしまって大変だったね」「会計処理ができなくなるなんて、それは困ったでしょう」「そんな大変なことがあったのね、お疲れ様。今日は大丈夫だったの?」など。

話している本人の「大変レベル」(本人が大変だと感じている心的感覚)が低く見えたとしても、深刻な雰囲気にならないよう軽く話したものの、実はそのシステム復旧までの間にドラマがあったかもしれませんし。

「自分だったら、それは大したことはないな」と思うことがあっても、話している当事者の身になって考えてみると、「月曜日の夜から終電だったなんて気が重かっただろうな」「お客様からのクレームもあっただろうに」などと想像できるのではないでしょうか。

少なくとも、「そういうこともあるよ」「よくあることだよ」「私なんてさあ~(自分の大変な話にすり替える)」などという反応は、とても失礼に当たるのではないでしょうか。

大変でも大変と思わずに毎日を乗り切れる人もいる一方で、たまに愚痴の一つでもいいたい人がいたら、応援している姿勢で反応できたらなぁ^^

会話の中で人と人の温かみが感じられると、大抵のことがうまくいく気もするのです♪

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