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【GIGAスクール】自分の世代を基準に考ると、時代に必要な力が見えなくなる

おはようございます、tamamioです(^^)
皆さん、GIGAスクール構想ってご存知ですか?「一人一台タブレット」が有名ですね。

今回は、「一人一台タブレット」をめぐって職員室内で交わされた会話と、それを聞いて感じたことを発信します。

1.GIGAスクール構想とは何ぞや???

「GIGA」とは「Global and Innovation Gateway for All」の略です。

そして、「GIGAスクール構想」とは、文科省の文書を簡単に要約すると、

1.1人1台端末と、高速大容量通信ネットワークを整備する
 ↓ ことにより
2.子どもたち一人一人に適した「創造性を育む教育」を受けさせる。
 ↓ それを
3.全国の学校現場で、安定して継続的に実現させる、という構想
です。

本当にざっくりと、かいつまんで述べているので、詳しく知りたい方は以下をご覧ください。

2.一人一台タブレットをめぐって、職員室内での話

一人に一台支給されるタブレットをめぐって、現場はざわついています。意欲的に取り組む先生、そうでない先生の温度差があり、意見も様々です。

昨年同僚だったベテラン女教師は次のように言いました。

「タブレットなんか導入して、ますます勉強ができなくなると思う。定規やコンパスを正しく使う力も身についていないのに、タブレットなんか持たせたって仕方ない」

発言内容を整理すると
1.最近の子どもは生活経験が乏しく、手先が不器用だったり力の加減ができなかったりする子が多い。
2.手先の器用さ、力の加減の上手下手は、成績に影響する。
3.定規やコンパスなどの文房具を学校で使うことで、2を鍛える機会がもてる。
4.タブレットは手先の器用さや力の加減を鍛える機会を奪う道具である。
5.だからタブレットを使うようになると勉強ができなくなる。
と言うことだと思います。

1~3はその通りだと思います。実際、「雑巾絞りができない」ことは基本で、袋の口を縛ったり、結んだりも、子ども達はできません。
また、定規を押さえる指の力も弱く、コンパスの針を支点としてくるくる回すことも、なかなか困難です。(練習すればできるようになりますが、実感として「不器用だな」と思う子が増えたのも事実です。)

問題は4,5です。

「1」で紹介した文科省文書には、次のような記述があります。

学校のICT環境は、文房具と同様に教育現場において必要不可欠である。(p8)

ICT環境の整備は「文房具と同様に」必要不可欠、と明確に述べています。「ICT環境(=タブレット)だけが大事」と言っているのではないことに注意です。

3.タブレット使用について、TOSSで学んだこと


以下、私がTOSSの勉強会で学んだことをお話します。
タブレットが導入されても、算数などは学習のほとんどが「教科書とノート」を使用すると、講師の先生は言っていました。イメージとしては「45分の授業中、40分は紙と鉛筆」です。この中で、定規やコンパス指導ができます。

では、タブレットはどのように使うのか。それは「補充学習として使う」のだそうです。※算数に限って言うと。
タブレットに「補充学習のアプリが入っている」ことを前提にお話しします。例えば、朝学習で「今学習しているところをタブレットで勉強しましょう」としていたら、一人一人が自分のペースで補充問題を解くことができます。また、算数が苦手な子は「出来ていないところまで戻って勉強しなおす」ことが可能です。(これが、専門用語「個別の最適化」です。)

4.もちろん、タブレットにも弊害はある。そもそも効果が未知数。

もちろん、タブレットの弊害も見過ごせません。視力は低下するでしょう。「家庭保管」としている自治体もありますので、家庭によっては「子どもが支給されたタブレットでゲームをしている」ということもあるでしょう。実際、新聞で報道されていました。

何しろ、タブレットを使って学習させること自体が新しいことなので、十分な実験データがありません。本当に学習効果があるのか?長い目で見て、害悪の方が大きいのではないか?成長した後、子どもの生活にどんな影響を与えるのか?すべて未知数です。

だからこそ、教師は勉強しないといけないし、害悪に傾かないように、日ごろから「先手」を打っておかないといけないのです。件の「子どもが支給されたタブレットでゲームをしている」も、学校や教師から十分な説明が家庭にも子どもにもあれば、少しは防げたのではないのでしょうか

5.結論「自分の世代を基準に考ると、時代に必要な力が見えなくなる」

話をベテラン女教師に戻します。この先生は本当に素敵な方で、おしゃれだし(ネイルもばっちり!)、機転も効くし、子どもからも保護者からも信頼の厚い方でした。私も何度も助けてもらいました。

そんな先生が言うのだから「ひょっとして、本当にそうなのかも?」と思いかけました。が、ちょっと待って!

話は飛躍しますが、お風呂!今、スイッチを押せば自動で湧きますよね。私の子ども時代は蛇口から、でした。その一つ前世代は「薪割り」「風呂焚き」だったと思います。

私の子ども時代は蛇口からだったので、「お湯と水の量の加減」とか「八分目の水加減と時間」とか、「お湯が熱すぎた場合の対処」とか、子どもなりに考えました。今の子どもはそんなこと考えませんよね。

さらに前世代の「薪割り」。私は風呂焚きの家でなかったので、やったことはありません。よって、薪を割るときのバランスだとか、体幹だとかを鍛える機会はありませんでした。

そんな薪割世代には私たち「蛇口世代」は、「今の若い奴らは薪割をしてないから足腰が弱くて全く!」と思われていたのでは、と思います。言われたことはありませんが。

一方、私たち蛇口世代は、確かに薪割の筋力を鍛える機会はありませんでした。だけど、薪割筋が鍛えられなかったことによるマイナスは、今のところはないです。大体、筋力は薪割でなくても鍛える機会はたくさんあるし。

蛇口世代の私たちからスイッチ世代を見ても、確かに「段取り」だとか「加減」だとかを学ぶ機会は減っていると思いますが、でもそれって、別に「蛇口」からしか学べないというわけではないですよね。

何が言いたいかと言うと「自分の世代を基準に考えると、時代に必要な力が見えなくなる」ということです。

薪割世代に必要だった「筋力」も、蛇口世代に必要だった「段取り能力」も、何も「薪割」や「蛇口」でなくても身に付けられる。なのに、「薪割」や「蛇口」に固執するのは馬鹿げている。同じことが、定規やコンパスにも、もしかしたら言えるんじゃないかな、と思ったのです。

話に整合性がないのかもしれませんし、「それとこれとは別じゃない?」と思われるかもしれないです。が、私が言いたかったのはこれです。

自分の世代を基準に考えると、時代に必要な力が見えなくなる。

「自分の頃は〇〇だった」
「私たちは△△をやってきたからできるようになった」
などと言って、新しいことを吸収しない理由を作ろうとしない。
私は、いつまでも「教えて!」「やってみたい!」と若い人に言える、おばあちゃん先生になりたいなと思いました(^^)
おばあちゃん先生は当分先ですが!

ここまで、読んでいただきありがとうございました!
今日も、良い一日を!




私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。