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「健康・お金・愛情・仕事」。全てそろうと人はこうなる。だから・・・という戒め#219

おはようございます、tamamioです(^^)皆さんの人生で「健康、お金、愛情、仕事」このすべての満足度は高めですか?今回は、人生でこの4つすべてが満たされたらどうなるか、というお話です。

1 健康・お金・愛情・仕事。全てそろった時が

確か、明石家さんまさんの言葉だったのではないかと記憶しています。笑っていいともか何かの番組で、ぽろっと言われたのです。

「健康、お金、愛情、仕事。すべてそろった時が、死ぬときやねん」

もちろん、科学的根拠はありません。また、亡くなる人はこの4つが満たされているのかと言うと、とてもそうとは思えない。なので真実ではないと思います。

これは、地域の古老やご先祖様から言い伝えられてきた「戒め」的なものだろうと、私はとらえています。

欲張ってはいけないよ。足りないくらいがちょうどいい。「今あるもの」に感謝して、心穏やかに過ごすのが一番幸せだよ。こんな教訓が込められているのだと思います。

2 裸眼生活への憧れの顛末

どうしてこの言葉を持ち出したのかと言うと、この発信が、先日から発信している「裸眼生活への憧れ」の最終章だからです。

裸眼生活への憧れ記事はこちらです。
1 裸眼生活への憧れ・1
2 ICL(眼内レンズ)にチャレンジ!
3 残念ながら不適合でした

黄斑前膜という眼底の病気が見つかってICLは不適合となりました、というのが、前回までのお話でした。その時「眼科に行って、黄斑前膜の進行状況を調べてもらってください」と言われました。

そして昨日、かかりつけの眼科に行き、黄斑前膜を診察してもらいました。黄斑前膜の治療は「経過観察」か「手術」です。

手術は白内障手術と一緒にすることが多く、そうなると近視は取れます。(でも視力が回復するわけではない、と言われましたが、近視が取れたら視力回復するんじゃない?その辺はよくわかりません。)

もともと、0.01と視力が悪すぎるのがイヤでICLを入れようと思ったので、「白内障手術で近視が取れるなら、それはそれでいいかも。ICLと違って、保険適用だろうし、逆にラッキーなのでは?」と思っていました。

不謹慎ですよね。病気なのに、ラッキーなんて。でも、私だけではなく、裸眼生活に憧れる人で、このように考える方はいます。

72歳、人生の大先輩のDさんも、このように思われていましたよ(^^)詳しくはこちらの「3」をご覧ください。

なので、手術なら手術でもいい。逆に「経過観察」はちょっと残念。こんな風に思っていました。

3 これ以上望むのは、きっと贅沢。

そして、診察の結果は「経過観察」。ちょっと残念というか、でもやっぱりね、というか、でも良かったのかな、という複雑な、でもさっぱりした気持ちでした。

黄斑前膜は軽症。白内障は発症していない。だから黄斑前膜も白内障手術も必要ありません、という診断でした。「このままの生活ですね」と。このままの生活とは、眼鏡とコンタクト生活です。

この診断を受けて、私のひと夏の裸眼生活への挑戦は終わりました。私の人生では、裸眼という眼の健康は叶わない、ということです。

ただ、完全に見えないわけではないし、弱視でも斜視でも、その他深刻な眼病だあるわけではありません。前述の眼病がある人たちからすると、私が得られない裸眼生活なんて、贅沢以外の何物でもないです。申し訳ないです。

思えば私の人生で「お金・愛情・仕事」、これらが決定的に不足することはありませんでした。

裕福ではないですが、生活に困らない程度のお金。家族がいて、夫がいて、友達もいて、という愛情。教師という、子どもの頃からなりたかった仕事にも就いている。

完璧ではないですが「お金・愛情・仕事」で困っていないのに、さらに「健康」まで手に入れようとするなんて、きっと「やりすぎ」なのでしょう。

手に入れたかった「眼の健康」だって、眼鏡・コンタクトで矯正すればちゃんと見える。まぁこれで「よし」としなさい、ということなのでしょう。

今回の発信は、こんな感じです。この発信が不快に思われる方もおられるかもしれません。もしそうなら、申し訳ありません。本当、軟弱ですね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!明日はお休みですね。
今日も一日がんばりましょう!

では、今日も素敵な一日を!






私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。