見出し画像

【人間関係】限界を認める。今まで得意と思っていたことが、実は・・・な出来事#502

おはようございます、tamamioです(^^)皆さん、「限界」という言葉を聞いて、何を連想されますか?

「限界は突破するもの!」という認識の方が多いと思います。かっこいいですよね、「限界突破」!かく言う私もその一人でした。

が、「もしかして、そうでもないのかもな」と思った出来事がありました。今回は、限界についての新たな認識の発信です。

1 誰も私の気持ちを分かってくれない

私は小学校教師です。担任している保護者には、いろんな事情を抱えた、いろんな方がおられます。過去に、こんなお母さんがおられました。

諸事情により、精神的にゆとりを持ちづらい方でした。(※諸事情とは、お金ではないです。)

子育て、生活のすべてを一人で何とかしようと抱え込んでしまう。抱え込むから、大変さが理解されない、気づかれない。

そして、お母さんも人前では気丈に、明るく振舞われるのです。「大丈夫です」「やっておきます」。そんな前向きな言葉とは真逆のご自身の状況。

その状況に直面して「誰も助けてくれない」と孤独感に苛まれる。そんな方でした。

前担任によると、ぽろっとお母さんが「誰も私の気持ちをわかってくれない・・・」みたいなことを言われたそうです。

2 やってらんない、付き合いきれない

私が担任を引き継ぐにあたって、資料を読んだり、話を聞いたり、事情についての一般的な事象を調べたりと、できる限りの準備をして臨みました。

担任をしてからも、母子には様々な配慮をしてきました。お母さんの気持ちに寄り添ったり共感したり、言われたいであろう言葉をかけたり。

想像力を駆使しての、できる限りの配慮です。読書で想像力を鍛えておいてよかった・・・。

それに対して、感謝してもらうことも多かったのですが、逆に激怒されることも多々ありました。

「これをしてほしいんじゃなかった」「逆に、こうしてほしかった」「こんな風に扱われると思わなかった」・・・

もう「やってらんない」「付き合いきれない」。私も管理職も同僚も、そんな気持ちでした。

3 超能力者じゃないんだから・・・

いや~、もう限界でした。だって「やります!」と笑顔で言っておきながら「本当は・・・」みたいに、後日激怒されるのです(※ほんの一例)。

「私の気持ちを考えてもらえば、分かりますよね?」みたいに言われるのですが、本人が「やる」と言ったら「じゃぁ」ってなりますよね。

人の気持ちなんて、本心なんて、分かりません・・・。想像力を駆使して考えても、完全には理解してあげられません。

「分かりますよ」って言う人がいたら、それは超能力者。もしくは詐欺師。

こう言えたらスッキリしたろうな~。

『東京卍リベンジャーズ STAY GOLD』

4 やっぱり限界があります

最後の個人懇談で、そのお母さんにこう言いました。

「今までいろいろ配慮の足りないことがあって、申し訳ありませんでした。嫌な思いもたくさんさせてきてしまい、思いやりに欠けるところもありました」

お母さんとの出来事の中で、逆ギレ事象と同じくらい、こちらの落ち度もありました。それはプロとして恥ずべき事で、改善しなければいけません。

そして、こう続けました。

「この先も、お母さんと〇〇さんは、これまでと同じように理解の至らない学校・教師に出会い、同じように傷つかれると思います」

以前のお話で「私たちは何度も、学校に裏切られて傷つけられてきたのです」と、私に打ち明けられました。それを受けての言葉です。

「もちろん、私も次の担任に伝えますし、学校にも記録として残します。でも、それにもやっぱり限界があります」

そう、大変申し訳ないのですが、限界があるのです。

情報の伝達も、細部までは完璧にできないでしょう。想像力を駆使したところで、人の気持ちは理解できない、完璧にフォローできない、配慮もできません。

「本当に申し訳ないのですが、その都度お母さんには、相手方にお話ししていただく必要があります。本当に、嫌な思いをさせて申し訳ないのですが。

そして、これが本心です。

「私も、お母さんの気持ちや立場を想像して、配慮してきたつもりです。でもやっぱり、違う人間なので、それにも限界がありました」

5 思えば初めて、限界を認めた

思えば、自分でも初めてのことかもしれません。自分の限界を認めるって。

今まで、「限界は突破するもの」って思っていました。頑張れば、なんとかなる。そして、できる範囲のことは、何とかしてきたつもりでした。

正直、お母さんとの人間関係も「何とかできる」と思っていました。配慮・気遣いは上手にできる方だし、なんとかなるだろう、って。

でも、そうではなかった。自分以外の人間のことを理解するなんて、私には無理。限界でした。

さて、個人懇談で私が限界を認めた後、お母さんの態度が少し軟化したように思います。「思えば、今まで学校に期待し過ぎていたのかも」みたいに言われ、

それは正直、寂しく申し訳ない気持ちなのですが、確かにその通りです。

自分の子どものことなのですから、親が一番に責任をもち、学校はそのサポートでしかない。ここにも「学校の限界」が。

こうして、限界を認めた私ですが、自分も楽になりました。楽になった詳細は、また後日発信します。

長くなりました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!今日も素敵な一日を!

私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。