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【映画】『THE FIRST SLAM DUNK』で、削りに削って表現したかった(と思う)”余白の美学・粋”#491

おはようございます、tamamioです(^^)先日『THE FIRST SLAM DUNK』の感想を発信しました。

原作者・井上雄彦氏の手により、原作から、削りに削って今回の作品になったわけですが、では、何を削って何を残したのか。

そこから、井上氏が表現したかったことを考えたい。そんな発信です。※ネタバレ含みます。

1 削ったもの→「ノイズ」的要素

まず、非現実的場面はほとんど削られていました。(※登場人物の身体能力、イケメン揃いとかは除く。)

例えば、ゴリのライバルであり盟友である魚住の、このシーン。

『SLAM DUNK』28巻

これ、立派な銃刀法違反ですよ。「刃渡り6センチ以上の刃物を所持」が、基準ですから・・・。

それに、こんな人がコートに入ってきたら、試合どころじゃないですよね、普通に怖い。背景の人も、怖がってますよ???

あと、リョータの機転が発揮されるこのシーンもカットでした。

30巻

この極限状態で、緊張場面で、高校生がこんな心理戦を展開します?

こういった非現実的場面や、もちろんギャグ要素も全てカット。あと、相手チームの山王の選手の背景・人物像もカットでした。

一ノ倉君のキャラのわかるエピソード、河田兄弟の対比や、もちろん母・まき子も登場なしでした。

母・まき子

そういう、ある意味「ノイズ」的要素がなかったせいで、試合内容がとてもシンプルに(しかし前半は、やや単調に)入ってきました。

2 「ノイズ=心を奪った物語」を前提として

こうして、極限まで削りに削って、そして残ったものは何か。

まず、試合展開ですよね。これは当然、正確にたどらなければならない。

いつ・だれが・どんな状況で・どんな風に・シュートを決めたのか。

思えば、そんなにガチのファンじゃなかったー普通に好きだったー私は、正確に追えていなかったです。

だって、楽しく心躍る「ノイズ」が多すぎたのですから。前述の一ノ倉君の「我慢の男」エピソード、

仙道との1on1での流川の覚醒、

そしてもちろん、母まき子。

こういう、ある意味「ノイズ」だけど、物語を彩って厚みを出し、読者を登場人物に寄り添わせ、心を奪ったサイドストーリー。

これらは「この映画を観るための前提条件」として、映画を観る人に求められている教養だったのです。

3 全て言わない、説明しない「大人な作品」

この”「ノイズ的要素」を前提とした上で、『THE FIRST SLAM DUNK』を観てください”という、

井上氏、及び制作側の『スラムダンク』愛が爆発した作品だったのです。

「全てを言わない、説明しない」。そんな姿勢が気に入りました。

例えば、あの名場面。

なんと、これ、言わなかったのです!

言わせなかったのです!花道に!!

花道は言わなかったです。ただ、唇だけは動いていました。そして、その場にいた全員が、心の中でつぶやいたのです。

「そ え る だ け」・・・って!!!

もう、心憎い!!!心憎い演出!!!くぅ~っ!!!やられました、井上先生!!もう、何で私たちの行動がわかってるんですか???

あんな風にされたら、自分でつぶやくじゃないですか!

「そ え る だ け」・・・って!!!

スミマセン、取り乱しました・・・。

4 余白の美学、余白の「粋」こそを

とにかく、そんな感じなのです。削りに削った代わりに、私たち観る人に委ねてくれる。

あの頃、花道や湘北メンバーの活躍に心を躍らせた中高生だった私たちが、今、大人になって『スラムダンク』を味わうならこれ、この形。

この「余白の美学」こそが、井上雄彦氏が表現したかったことなのではないかと思いました。

全部言うのは野暮。「粋」じゃないよね、って。多分、きっと、そうなのです。

ああ、こんな風に書いてたら、ますます、また行きたくなってしまいました。折しも、息子(小6)が、「学校からスラムダンク持って帰って!」と言っています。

息子も連れて、観に行けと???

行きましょう、TOHOウエンズデーで。もしくはシネマイレージデイで!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!今回、かなり取り乱した発信になってしまいましたが、私の熱が伝わると嬉しいです!

では、今日も素敵な一日を!




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