見出し画像

絵を描くことは、希望

私は日頃なんでもない絵を描いている。

なんでもないというのは、仕事でもないし、誰に頼まれたわけでもない、自分自身のために描く絵だ。

そのなんでもない絵は、日々の自分の進化の証となって自分を勇気づけている。

あぁ、今日はこんな絵が描けた。
ふふっ。
その一瞬、私の日常は輝く。

絵を描くことは、自分の感情の解放にもなっているし、自分の絵を見て誰かがほっこりしてくれたりするような時は、え〜嬉しいな〜って、その喜びがまた自分の力になる。

Instagramで何日かに一回、
調子が良い時は連日投稿している。

自分が描いた絵を、世の中に向けて投稿する時、
いつも、どきどきする。

本当にこれでいいかな、
この絵を受け入れてくれるかなって、
別にそんなこと気にせずアップすればいいんだろうけど、私は絵を描くことを通して、自分が、素の自分が世の中に受け入れてもらえるかを伺っているところがある。
いいね、が付くと、嬉しいの前にホッとする感覚がある。

ふだん社会において人と接する時、私は接する相手によって色んな自分になる。あまり気が乱れるような雰囲気を好まないためか、自然と相手が心地よくなるような空気を自分でオートマチックにつくり出す。てんびん座ゆえに、そういう特性があると思う。

人と接しているほうが楽しくて有意義な気がしてたけど、本来すごくマイペースで、自分の世界を強めに持っている私は、ある時期に、人に合わせたりするのがすごく疲れるようになって心身に支障が現れはじめた。

心身の不調は、人生の軌道修正のためにあるのだと思う。

あ〜、自分って何がしたいんだろうなぁ。
少しずつ時間をかけて、本当に自分の心が喜ぶことを探していったら、絵を描くことに、微かな希望を見いだすようになっていった。

きっかけは、絵本が好きで、自分でも描いてみようと絵本スクールに通ったことにはじまる。それまで童話創作に通っていたので、お話なら描けるかもしれないと門を叩いてみたのだ。

絵本スクールの初日に、自分の絵を見せて自己紹介をしたのだけれど、あまりに周りのスクール生に比べて絵が下手だったから本当に気後れしてしまった。やっていけるかな…。それでも、お話なら書けるかもしれないから、と何とか自分を励ましながら通った。

スクールの最後の課題は、ギャラリーで自分の創作絵本を展示しいろんな人に見てもらうことだった。絵を専門的に学んだこともない自分が、絵を展示するというのは、非常に勇気がいることだった。ここはもう絵の技術うんぬんではなく、絵本が醸し出す雰囲気で何とか勝負したいと思っていた。

感想ノートには自分の作品を目にした人たちからのメッセージが集まっていった。

心がほっこりして温かくなりました。
優しい絵に心が癒されました。
ついにんまりしてしまいました。
もっと作品を読んでみたいです。

そういった言葉の数々を目にして、社会に出てから久しく味わったことのない感覚が体中をめぐった。心の深いところの魂みたいなものがじんわりと温められて、

そう、そうだ、こういうことなんだ。
私がこれからやっていきたいことは。

っていう、微かな確信のようなものが、生まれた。

その感覚が私にとっての希望になった。

それから私は
自分自身と、自分の絵を見てくれる誰かのために
今日も絵を描き続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?