通信制高校一年目、無事に終了

私には息子が三人いる。私の悩みの大半は長男のことだった。しかし、この半年間は圧倒的に次男のことが悩みの種だった。次男についてはまだうまく言葉に表す気力がないので、また改めて記すことにする。

長男は、大多数の子供ができることができなかったし、大多数の子供が興味を持つことに興味を持たなかった。私自身はやすやすとできたことができなくて、私が価値がないと考えることにばかり興味を示した。

そんな長男の進路を決める時期は本当に大変だった。それでも、高1が終わろうとしている今の彼の姿を見ると、良い選択ができたこと、この1年間が過ごしやすかったことがよくわかる。そして、親から見ると何も考えていないようにみえても、本人は本人なりに色々と考えて行動していたことがわかった。

今通っている通信制高校を選択した時、迷いはなかった。今の学校を選んだ決め手は、これがポジティブな選択肢だと思えたからだ。腫れ物に触るように扱われることもなく、才能と感性の豊かな人間として接してくれたからだ。長い間、あれもできないこれもできないという思いばかりしてきた私達親子にとって、それはゆっくりと誇りや自信を回復するきっかけになった。藁をも掴む思いで2人であちこちの学校を見学に行ったことを今となっては懐かしくさえ感じる。

当時を振り返ると、私自身が何か大きなものに守られている感覚もあった。見えない力によって突き進んでいる感覚もあった。その感覚のお陰で、私自身が極度に不安になることもなく、子供に向かってネガティブな言葉ばかりを吐くこともなく、少しはおおらかに過ごせた気がする。そしてそのことが多少なりとも子供にいい影響を与えることができたようにも思う。

子供を変えようと思って躍起になったこともあったが、「子供を変えよう」と思うことは、自分自身の考えが「正しい」と強く思っているからなのだ。でも、私の思う「正しい」ことが本当に「正しい」ことなのか、私が信じている「幸せな生き方」が真の「幸せ」に通じていることなのか…。長男の生き方を見ていると自問自答することも少なくない。

そして、元々備わっている優れた才能を伸ばすことももちろん大切なことなのだが、どんなに才能豊かであっても、その才能を人間社会の営みの中でうまく活かすことができなければ幸せには程遠いことも感じている。このことは、次男の子育てを通して感じている。

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