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連載小説。仮題「網代裕介」⑩

 網代君の、「兄貴と結婚してくれ」という言葉を聞きながら、顔を上げて網代君を見た。私もよく若いと言われる。網代君の顔付きに幼さが残るのはなぜなのだろうと考える。きっと私にもこんな幼い印象があるだろうなとも思う。
 すぐに思い出せる実家の雰囲気がある。リビングのフローリングの種類、その色合いや、素足でそれを踏んだ時の足の裏の感触や温度、そこに流れていた通俗的なドラマの効果音。奇妙な覚醒がある。当時家中の灯りをLEDに変えたばかりだった。暗いような気も、明るすぎるような気もする。そんなイメージだ。網代君も、父親の運転する夜の車内の光景を覚えているかもしれない。その匂いや、ヘッドライトに照らされた暗闇の中のアスファルトの色や、ハンドルを握る父親の手などを思い出せるかもしれない。もうだいぶ時間は過ぎた。私と網代君に経過した時間は同じく誰にも経過した。病院の外、誰もろくに網代君の父親を思い出すこともないだろう。網代君を思い出すことも稀だろう。若い頃に恋人にこっぴどく振られ、痛手を負った。本人だけ時間が経っていることに気が付かない。傷が毎日更新し、痛みは常に新しいからだ。私たちもそれに似ているのかもしれないと思う。ひどく未練がましいのだ。

 網代君と私はお互いの顔を見ながら会話をした。「そうね、そうしたらいいかもしれないけれど」と私が言うと、網代君が「そうだろう?金銭的な話もそうすることでさ」と言う。「確かにそうかもね」と私が答える。ふと雨が降りだすようにその会話は終わった。
 
 二人で廊下や、病院の建物の周囲を囲む、人のいない広い駐車場を歩いていても、地面が動いているような気がする。地面がすべて動く歩道になったみたいだ。どれだけ歩いても疲れない体になったのではないかと思う。空気はあるのに、本当に物体は空気抵抗を受けているのだろうかと疑う。ゆっくり歩いているのに、とても速いスピードで移り変わる。頭はクリアで冷静だ。けれどいつも、今にも激しく動悸が始まりそうな予感がしている。
 そういえば、私たちはいつも薄着で暮らしている。夏も冬もあった。外にウィルスがはびこると、病院は固く窓を閉め、ドアに強固なカギを掛ける。どんな切迫した用事を抱えた人が訪れようと、門前払いだ。私たちの免疫が弱いからだ。すぐに死んでしまう。

 午前中に一斉にお風呂に入る。窓から明るい日差しが差し込む廊下で、順番に濡れた髪にドライヤーが掛ける。私は鏡の前で髪をゴムで結んだ。鏡の中にほっとした明るい顔の私が映っている。デイルームでメロンソーダを飲み、少し寝ようと部屋へ戻るとき、きっとこの建物はシャンプーのよい香りをこの土地一帯に放っているのではないかと思うほど、清潔な香りが満ちているのに気づく。

 たまに後悔のようなものが体に湧き上がる。自分の神経が一気に起き、覚醒を続け、磨かれ先が鋭くなっていく。その尖ったもので、自分が傷ついてしまうのはなぜだろうという思いが湧き上がり、苦しくなるのだ。

「網代裕介」⑪


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