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連載小説。③仮題:「網代裕介」

 その川口市のサイゼリアでは、音が束になって空中を行き交う。たまには私めがけて飛んできたりもした。見えるものと聞こえるものが混ざり始めたらしかった。私はテーブルの上のホットコーヒーを眺めているように見えたかもしれないが、実は脳が狂っていただけだ。ノートを広げ小説を書こうとするが、文字がやけに書きにくいと焦ったり、困ったりしていただけだ。

 

 すると、S医師から電話があった。受話器からS医師が汗をかきつつ、「スポーツマン」の真似をする声が聞こえる。スポーツマンの物真似で私を慰めるのだ。S医師は秘密の私の愛人だった。

 うん、そうする、うん…、行きます、必ず。電話を仕舞い、テーブルに突っ伏した。温度とか、液体の感触とか、木製の机の平板さとか…そういうものを初めて感じたような気分でいた。

なるほどねえ液体の感触ってこういう感じなのねえ。

今度は電車に乗り、大きな水色の遊具に見える貯水場がポツン立っている街に移動し、私は病院に保護されたというわけだ。

 S医師の体の陰に入る。S医師は背が高く、S医師が居さえすればいつも日陰ができた。そこでひそひそと内緒話をした。一方、その待合室には母が座っていた。その光景はどうにもひどく安っぽいものだった。SFアニメで見たことのある風景だ。あれはおそらく、金曜ロードショーだ。大友克洋の描く老人がクリーム色の待合室の中に座っている。ふと目を転じる。また転じる。すると、その老人は…醜悪な赤ん坊に変わっている…つまり簡単な子供の作ったような仕掛けだ。

S医師はガムを噛みながら言った。

「何か用ですか」

赤ん坊は家庭的な話をしておきたかったらしかった。そう説明したあと、恥をかかせやがって!と睨みつけ、憤慨した。老人は、宿題みたいな呪いをせかせかとぶつけると、いつの間にかいなくなっていた。

 病院の医者8人のうち、6人が私にえこひいきをした。ベッドから動けないように縛られた老人のいる部屋で寝泊まりを始めた。看護婦にスーパーの正社員の男性の給料について尋ねられ、それに適当に答えたりして暇つぶしをした。

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