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連載小説:⑥「網代裕介」(改訂したもの)

 作業療法で私はお正月のイラストに絵を塗っていた。男の子の着物を紺色で塗っていると、何か大きなものが床に倒れるような音がした。見ると、手芸をしていた石井君が床に首から血を流して倒れていた。首が曲がり顔は横向きだ。目は開いている。石井君は名簿に石井と書き、鋏を受け取ると、そのまま首を切ってしまったらしかった。M医師とS医師がすぐに現れ、石井君の首の処置を始めた。「えらいことだ」と言いたそうな顔のスタッフが救急車の話を口早にする足下で二人の医師は床にしゃがみこんで泣きべそをかく子供のような顔つきで「お前なあ、死ぬなよな、なあ」と言っていた。二人の医師と石井君、そして私は学生の頃からの付き合いだ。ある有名な大学病院のクリスマス会で、きよしこの夜を歌い、運動会の真剣な顔で走ってタスキを渡し合ったりした。そうやって私たちは大きくなった。邪魔な自意識を抱えていたのは石井君と私だけじゃない。医師たちだって苦しそうにタバコを吸っていた。 

 午前中に一斉に風呂に入る。風呂から出て、濡れた髪をドライヤーで乾かし、洗面所の鏡を見ながらゴムでまとめようとした。採用されて間もない若い男性の看護師がすぐ後ろに立ち、私の写る鏡に自分の顔も写しながら、ふざけた口調で、私の耳元で「いつも本当にきれいですよねえ」と言った。私はその看護師によく、「終わったらデートとか?」などと話しかけることもあったが、その時からひどく残忍な気持ちや馬鹿にした気持ちを持つようになった。すると、その後一か月もしないうちにその看護師は病院を辞めていった。阿部ちゃんと呼ばれるスポーツ刈りの男性が「あの女にみんなの見ている前でああいうふうに説教されちゃあな」と辞めた看護師の肩を持ち、不満げに言っていた。先輩に当たる既婚の髪の長い女性に患者の前で「今そんなことを聞くの?」と叱られたことを言っているのだ。

 どうしても漂う倫理感に全体が支配される。真面目に生きる。努力が必要。そうやって誰もが我慢して生きているのだという思いが、知り合いの不動産屋の社長の話をしたがる不真面目で下品な冗談が好きな虚言癖のある摂食障害の女性に教育的な罰を与えがちで、それが集団的な感情になりやすかった。例えばルールを破って夜中にアンパンを食べてしまったその女性は、車イスをデイルームのテーブルに一日中縛り付けられた。ほかの患者はその人にわざわざ近寄って、「そういうことはもうやめて生きたほうがいい」などと口々に言うのだった。 

 入院当時、どのドクターの愛人だろうと噂された私に、スタッフたちは徐々に態度を変え、「あなたなら再婚できる」だの「街コンというのがある」だの特別なことを言いたがったり、親近感を醸し出したりするのだった。私はそんな時、実は…と、私だけが知る病院の関係者の恋愛事情などを披露したりした。 

 夜中に飛び起きた。例のサンダルを履かずに廊下にいると、廊下の遠くに韓国人だという噂の60代の女性が白いネグリジェで立っている。ネグリジェなんてほかにいるわけもなく、すぐにそうだと分かった。浦和の伊勢丹のデパ地下で総菜を買い一人で食事をする毎日を送っていたが、ある日包丁を振り上げて、自分の腕に振り落としたらしい。私に気付きゆっくりと私に近づくと、私を抱きしめた。私は急に激しい頭痛がした。汗をかくような頭痛だった。その女性が去り、見えなくなると、私は色々な断片を細切れに思い出していった。確か…父が痩せて頭髪の薄い頭を真っ赤にして汗をだらだらたらし続けるのだ。その脇にいつもより地味な格好の母がいて、困ったようにうっすら笑っている。そして母は私にしょうがないじゃないかということを言いたいらしい。まあ、うちは普通の家庭じゃないの。お金だって普通よりあるし、お父さんにも学があるし、あなたも典子も賢いのだし…。 私は冷たい炭酸のジュースがどうしても飲みたいが、この時間に自販機で買うのはルール違反だ。廊下に並んでいる椅子に座った。肩肘を椅子のひじ掛けに置いて斜めに座り、目を手で覆う。暗闇で目を閉じているのに視界が昼間より明るい。

 あっ、と声が漏れそうになった。美しい赤茶色のレンガを敷いたようなオシャレな遊歩道。あの先には貯水池があり、遊歩道は貯水池の周りをぐるっと回る道で終わるのだ。行き止まりだ。貯水池の周りをぐるぐる歩くだけでどこにも出られない。身体をなんとか引き摺るような気持ちで歩いた。母と典子は私を心配し散歩に誘うのだと思い込むのをついさっきまで私はやめられなかった。肉体的、或いは性的な被害の記憶もあるが、今でも脳の血液が下に落ちていくような気分で、しくしく泣きだしたくなるのは母と妹の典子に虐められた記憶だ。よい人たちだったと思う。けれど「わからない」というキョトンとした顔で私に自分の中の汚泥のように溜まる悪感情を強く投げ、ぶつけて捨てることとがやめられないらしかった。お姉ちゃんはいい気なもん。純粋でいられるのは運がいいだけなのに。お姉ちゃんを泣くまで虐めたくて仕方ない。お姉ちゃんが苦しそうなのを見るとスッキリする。典子の中の若いエロティックなリビドー。生きていくために仕方なくこの子を産んだという母の本音みたいなもの。それをみんな分かってるんだろうけど、そう振舞うわけにもいかないじゃない…?
 その中で私はかきまわされているうちに狂っていった。不思議なものだ。今まで知っていたのにわからなかった。それなのに今、とてもよくわかるのはなんでなんだろう。

 鋏で首を切ってしまうとか、嘘をついたりしてうまくやることが生きるやり方だと思い込んでしまう…そういうことがよくあるのをなんとなく知っている。知っているのにな…と思う。

 俺に話しかけてくるのはドクターの愛人だったと噂の女だ…俺はお前たちと違うという思いが自分を守る。そうやって自分を支えないと生きていけない。そう思う人を薄汚いと馬鹿にした目で見た。あの男性看護師は小学生の一人娘がいて、奥さんは正看護師として都内のいい病院に勤務していると話していた。室内用のフローリング用のダスターを抱えて、痴呆老人と私だけの部屋によく来た。彼は想像したかもしれない。毛布の下にある私の体について。毛布の作る柔らかい稜線を眺めて、何か考えたかもしれない。命を超える大切なものを置いたまま…逃げようか、それともここにこうしていようか迷う夜が繰り返す、ずっと続くことがあると知っている。

 愛されたいと、まごまごとした不安を隠す。だってそういうクヨクヨした私をみんな嫌いになるのでしょう?そういう私だってみんな知らないのでしょう?そんな泣きたい気持ちを我慢する子を誰が抱きしめずにいられようか。単純という美しさに吐きそうになるくらい憧れる。なんで自分はそうじゃない?みんなはとても美しく見えるのにとよく苦しんだ。

 典子に家の前の路地で靴を投げてぶつけたことがある。小学生低学年のころだ。明確な理由があったわけじゃなかった。典子の臆面のない泣き顔を見ていたらイライラして靴をぶつけた。それを時々思い出す。謝りたいと切羽詰まった気持ちになることがある。家族の気持ちを推し量り、その気持ちもわかるとしゅんとした大人しい気持ちになることもある。すっかり忘れ、皆理解しがたいクズだったと思っていることもある。乗り越えたくて、過去を道徳的に修飾した小説を出したこともある。

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 椅子に座り、液体が沈殿するように考えていた。時計を見た。4時を少し過ぎている。あ、いけないと立ち上がった。デイルームで網代君にコーヒーを入れてあげたいと思った。
 部屋に戻り、屈んで床頭台からスティックのコーヒーを取り出す。サンダルを履いて部屋を出た。もう網代君いるかしらと考えながら歩いた。リノリウムの床をペタペタ踏んだ。
 そして、ふと思い出したのは、午前中の涼しい住宅街の路地の光景だった。昔見た光景だ。典子が家を出るときに、大量のグッチのバックが出てきた。典子がそういうことをするような人間だとは家族は誰一人思っていなかった。ルイヴィトンではない、トラディッショナルな少し古臭いほどかっちりしたデザインのグッチのバッグが、大きな衣装ケースが崩れ落ちたときに明るい住宅街の灰色の路地一面に広がったのだ。その光景をみんなで黙って見たことがあった。

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