見出し画像

死刑囚の「最後の晩餐」はなぜ始まったのか

死刑囚の最後の晩餐。囚人が死刑になる直前、本人の希望で今生で最後に食べたい食事をリクエストできるという粋な計らいです。

我々も雑談で「明日死ぬとしたら最後に何を食べたい?」とか話すものです。「寿司かなあ」「卵かけご飯」「ラーメン」など各々言ったりしますね。何の食事を選ぶかはその人の人生をあたかも象徴しているようで、なかなか興味深いものがあります。

ところが現代、「死刑囚の最後の晩餐」はレアケースになっています。そもそも、死刑制度自体が消えていっていることが背景にあります。世界的に死刑制度は廃止の流れに向かっています。特に欧州では死刑廃止は当たり前で、ヨーロッパで死刑があるのは東欧のベラルーシのみ。アジアでも韓国は死刑を廃止しているし、南北アメリカでもアメリカ、キューバなど限られた国のみです。

最後の晩餐は今はあまりない

日本では死刑制度は存在していますが、最後の晩餐はありません。実は昔はあったようなのですが、「何か食いたいものはあるか」と聞かれたら、すぐに刑が執行されるということが分かってしまい、刑執行前に自殺してしまったという不手際がかつてありました。そのため現在は最後の晩餐は廃止になってしまいました。

最後の晩餐が現在でも行われているのは、アメリカや中東諸国、アジアが中心。ですが必ず行われるというわけではなく、例えばアメリカでは州によって死刑が廃止になっているところもあるし、テキサス州のように死刑制度はあっても最後の晩餐が行われていない州もあります。

画像1

テキサス州が最後の晩餐を辞めてしまったちょっとした事件があります。2011年に殺人犯のジェームズ・バード・ジュニアを死刑する際に、当局が最後の晩餐を彼に尋ねました。彼はこう答えました。

グレービーソースをかけたチキンフライドステーキ2枚。 トリプルミート・ベーコンチーズバーガー。 牛ひき肉、トマト、玉ねぎ、ピーマン、ハラペーニョのチーズオムレツ。 ケチャップをかけた揚げオクラ大盛り。 白パンを添えた1ポンドのバーベキュー、付け合わせにファヒータ3つ。  牛肉のピザ。 ルートビア3杯。 ブルーベルー・バニラアイスクリーム1パイント。粗びきピーナッツの入ったピーナッツバター・キャンディー。

当局はこれを実際に用意し提供したものの、当日彼は「腹がすいていない」といって食べるのを拒否。せっかく用意したご馳走は破棄にされてしまいました。

この事件が大きく報道されたためか、テキサス州選出の上院議員ジョン ・ ホイットマイルはこう述べ、最後の晩餐を止めるように求めました。

死刑を宣告された人にそのような特権を与えることは極めて不適切である...もう十分だ...誰かが犯した恐ろしい犯罪のために、州の法律の下で誰かを処刑しようとしているならば、私は彼を慰めようとは思っていない...死刑囚は己の被害者に慰めや最後の食事の選択を与えていない

これ以降、テキサス州は最後の晩餐をやめてしまいました。

初期の頃の最後の晩餐

古代ローマの剣闘士は、死を迎える可能性のある日の前夜に「coena libera」と呼ばれる宴会をしたという記録があります。しかしこれは儀式的なもので、死刑される人がご馳走をリクエストできるという慣習が生まれたのはもう少し近代に入ってからのことです。

昔は何でも貴族や大商人などの富裕層は庶民よりも優遇されていましたが死刑の時も同じ。一流の処刑人や器具を使って「苦しまずに」処刑される特権は富裕層のみだったし、死刑を待つ間に何でも食べたいものをリクエストできるのも富裕層の特権でした。処刑される庶民の最後の晩餐と言えば、せいぜいワインやビールなどを一口飲ませてもらえる程度でした。これも酔わせて恐怖心を和らげ、刑の執行をやりやすくする程度のものでした。

しかし16世紀あたりから死刑囚は最後の晩餐のリクエストができるという習慣が広がり始めてきました。もしかしたらそれ以前にもあった可能性はありますが、記録が残っておらず、16世紀から記録が増え始めています。

18世紀になると、特にイギリスでは最後の晩餐の慣習はかなり一般的になりました。例えばロンドンでは、死刑執行の前夜に、死刑囚が死刑執行人を含む様々な客人と食事を楽しむのが一般的でした。さらに、ニューゲート刑務所の死刑囚がタイバーン・フェアの絞首台で死の行進をする際に、パブに立ち寄ることを許されたという記録があります。パブでは、彼らは通常、看守や死刑執行人と飲み物を共有していました。

ハングマンズ・ミール

ドイツでは死刑囚の最後の饗宴は「ハングマンズ・ミール」と呼ばれ、かなり豪勢な料理を食することができました。特に死刑囚からのリクエストによってメニューが決まったという類のものではありませんが、例えば1772年1月に子殺しの容疑で処刑されたフランクフルトの少女スザンナ・マーガレット・ブラントのハングマンズ・ミールは以下の通り。

3ポンドのフライド・ソーセージ、10ポンドの牛肉、6ポンドの鯉の焼き物、12ポンドのラードを塗った子牛のロースト、スープ、キャベツ、パン、お菓子、1748年もののビンテージ・ワイン

ハングマンズ・ミールは死刑囚、役所の人間、刑務所のスタッフなどが出席しました。主賓はもちろん死刑囚です。ちなみに、少女スザンナは何も食べなかったと報告されています。 役人が彼女の周りでごちそうになっている間、少しの水を飲んでいただけでした。ほどなくして、彼女の頭は切り落とされました。

アメリカで一般的になる最後の晩餐

アメリカでは最後の晩餐という慣習は19世紀に入るまではあまり一般的ではありませんでした。1835年、ニューヨーク・サン紙は、死刑執行の直前に、殺人で死刑囚となったマヌエル・フェルナンデスがベルビュー刑務所の看守の好意で、ブランデーと葉巻を少し要求し、与えられたと報道しています。

このような刑務所や看守による死刑者に対する「厚遇」はメディアで多く報道されるようになり、「死刑の前には最後の晩餐をリクエストできるものだ」という認識ができていき、20世紀初頭には、最後の晩餐を要求することが一般的になりました。

特にそういう法律があったわけではなく、あくまで刑務所の関係者が「勝手にやっていた」ことに過ぎません。メディアの報道によって、人々が死刑囚の最後の晩餐を知りたがったこと、そのような行為が行われていることを好ましく思っていたこと。これが慣習的に広がったと考えられます。

看守や死刑執行人が死刑囚の命を奪う前に、少しでも贖罪意識を和らげようとしているため、という説もありますが本当のところは分かりません。

代表的な死刑囚の最後の晩餐

画像2

名前:レイモンド・フェルナンデス

罪状:殺人

死刑執行日:1951年3月8日

最後の晩餐:オニオン・オムレツ、フレンチフライ、チョコレート・キャンディ、キューバ産葉巻

2014年臺北捷運隨機殺人事件嫌犯鄭捷

名前:鄭傑

罪状:殺人

死刑執行日:2016年5月10日

最後の晩餐:排骨弁当

画像6

名前:ジョン・ケイシー

罪状:殺人

死刑執行日:1994年5月10日

最後の晩餐:エビフライ12本、KFCのオリジナルチキン、フライドポテト、イチゴ半キロ、ダイエット・コーク1本

画像3

名前:ティモシー・マクベイ

罪状:テロ、大量殺人

死刑執行日:2001年7月11日

最後の晩餐:ミント・アイスクリーム約1リットル

画像7

名前:ロニー・リー・ガードナー

罪状:殺人

死刑執行日:2010年6月18日

最後の晩餐:ロブスター、ステーキ、アップルパイバニラアイス添え、7UP。食中のエンタメとして映画「ロード・オブ・ザ・リング」。

画像5

名前:サダム・フセイン

罪状:人道に対する罪

執行日:2006年12月30日

最後の晩餐:看守にタバコ、チキン・ケバブとライスを勧められるも拒否

まとめ

最後の晩餐はもともと、死刑が常識だった時代に人々の「善いこと」という意識と好奇心から始まりました。しかし、そもそも死刑自体が野蛮で不必要な行為という認識が広がり始めると、「そもそも死刑になるような行為をした人物を厚遇する必要があるのか」と厳しい声が出てくるのは皮肉です。公によって命を奪うのであれば、人間的な扱いをした後に死刑を実行すべき、という声が出てきてもいいものですが、そうなってないということは、最後の晩餐自体が時代時代で非常に感覚的なものとして捉えられていることの証左ではないかと思います。


参考サイト

"WHEN DID HAVING A PRISONER’S LAST MEAL BE ANYTHING THEY WANT START?" TODAY I FOUND OUT

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?