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実在が疑われる世界史の人物・マイナー人物篇
実は存在しなかった可能性が高い人物
聖徳太子は実は存在しなかった、とする説は結構世に根付いてきた感があります。
正確に言うと、世に言われているような活躍をした聖徳太子はいなかったが、そのモデルになった人物はいた、というのが正しいのですが。
一方で武田家の軍師・山本勘助は長い間存在しないと思われていましたが実は存在することが分かってきたという例もあります。これも聖徳太子と同じで、世に言われているような活躍をしたような山本勘助はいなかったが、そのモデルとなった人物はいた、という類のものです。
今後もしかしたら歴史の解釈が変わる可能性もゼロではありませんが、現時点では存在しなかった可能性が高いと考えられ散る人物をピックアップします。
1. ネッド・ラッド(イングランド)
19世紀初期のイギリスで、工場労働者が集団で工場の機械を打ち壊す運動「ラッダイト運動」が急速に拡大しました。
1810年に始まった運動は停滞期間を含めて1819年頃まで続き、この運動により17人が処刑されました。通常だと、労働者の職を奪う機械を打ち壊すことで自分たちの職を守ろうとしたと説明されますが、実際のところ労働者が憎んでいたのは、例えば労働時間や勤務ルールなど「雇用主が労働者に課す様々な制約」で、伝統的な働き方である自立的労働を求めて極端な行動に出たのがラッダイト運動でした。
このラッダイト運動の祖で、ラッダイトの名前の由来になっていると言われるのが、ネッド・ラッドという男です。伝説によると、ネッド・ラッドは1779年に靴下編み機を破壊したらしく、伝説の義賊ロビン・フッドのようにシャーウッドの森に住み貧しい人のために立ち上がったとされました。
しかし、ネッド・ラッドという男が実在したという証拠はどこにもなく、1811年のノッティンガムの暴動から出現したと言われています。歴史家のジョン・ブラックナーは、ルドラムという若い労働者がハンマーを使って機械を打ち壊したことから、そのグループがルッダイトと呼ばれるようになったと説明しています。
ラッダイトの伝説のリーダー、ネッド・ラッドのイメージはイギリス中の蜂起した労働者の中で瞬く間に広がり、ネッド・ラッドが「将軍」や「王」となって金持ちを打ち倒し、労働者が金を奪い取って大金持ちになれる世の到来を求めました。
2. バイ・バラ(インド)
シク教は16世紀初めにパンジャブ州でヒンドゥー教の改革運動として始まった宗派で、創始者のグル・ナーナクは一神教を説いて偶像崇拝やカースト制を否定して宗教共同体を設立させ、それがシク教と呼ばれるようになりました。
このナーナクの弟子であり、生涯の親友であったとされるのがバイ・バラという男です。バイ・バラはナーナクの三歳年上で幼い頃からの遊び相手で、若いころにナーナクがスルタンプールで遊学していた際に合流して、ナーナクが後のシク教の教えを拓いた時にそのそばにいました。シク教成立後、バイ・バラはその時のナーナクの歩みを記録し、「バイ・バラ・バリ・ジャナム・サキ」という書物にまとめたとされています。
しかし、研究によるとバイ・バラと呼ばれる人物の存在は極めて疑わしく、歴代のシク教徒の名前を記録した書物にも名前がないそうです。ですが現在でもバイ・バラの墓というものが存在し、巡礼する人も多いようです。
3. アン・ウェイトリー(イングランド)
シェイクスピアは生涯で数回結婚していますが、アン・ウェイトリーはシェイクスピアが最初に結婚したとされる人物です。しかし、多くの歴史家は2番目の妻アン・ハサウェイと混同されており、アン・ウェイトリーという人物は存在しなかったと考えています。
シェイクスピアは1582年にテンプルグラフトン村で結婚したのですが、当時の登記簿にシェイクスピアとアン・ウェートリーに結婚許可書が発行されたとあります。
しかし、翌日フルク・サンデルスとジョン・リチャードソンは、シェイクスピアとアン・ハスウェイの結婚式の費用の保証人となるため40ポンドの保証書に署名したという記録も残っています。そのため、村の登記簿の役人が間違ってハスウェイをウェイトリーと書いてしまったという説が濃厚です。あるいは、ウェイトリーはハサウェイの偽名で、結婚前に妊娠していることを曖昧にするために別名を使った、という説もあります。
一方で、ウェイトリーが実在したと信じる人も根強くおり、シェイクスピアが2人の女性と結婚していたとか、シェイクスピアはウェイトリーと結婚する予定だったが、ハサウェイを妊娠させてしまったので土壇場で結婚を余儀なくされたとか、創造力豊かに色々な説が唱えられています。
4. ヘンギストとホルサ(イングランド)
ヘンギストとホルサは5世紀のアングロ=サクソンのブリテン島の侵入の際に、ジュート族を率い、七王国の一国であるケント王国を建てたと言われます。
ブリトン人の王ヴォーティガンは、スコット人とピクト人の南下に対抗し、大陸にいたアングロ=サクソンを傭兵として雇い入れました。ヘンギストとホルサもこの時ヴォーティガンの招きでブリテン島に渡ったとされます。当初ヘンギストとホルサはヴォーティガンの元でスコット人・ピクト人と戦うも、後に仲違いをしてブリトン人と対決。戦いの中で弟のホルサは死亡するも、兄のヘンギストはケントの地を制圧しケント王国を建設した、とされます。
イギリスの伝説である「フィンネスブルグ争乱断章」や「ベオウルフ」にもヘンギストの名前があり、彼らの存在を信じる人も多くいますが、彼らの物語はゲルマン人の神話と類似する部分が多くあり、彼らのモデルとなった人物はいるかもしれませんが、その存在は完全に証明することはできません。
5. N.セナーダ(ドイツ)
N.セナーダはドイツ・バイエルン出身のミュージシャンと言われていますが、詳細はよく分かっていません。
彼の音楽理論は他のミュージシャンと一線を画した奇妙なもので知られます。まずは不明瞭性の理論で、他者の反応や周りの影響を一切排した状態でこそ芸術が作れると言うこと。そしてメロディーからではなく、単体の音同士を組み合わせて音楽を作っていくことです。彼はまた過去のミュージシャンの音楽の一部を切り取ってそれを組み合わせて曲を再構成しました。このやり方はプレ・ポスト・モダニストと呼ばれます。
N.セナーダは1972年から約60枚のアルバムをリリースしてカルト的な人気を集めましたが詳細はわからず、N.セナーダという人物はいなかったという説が強いです。一説によるとアメリカのミュージシャン、キャプテン・ビーフハートではないかと言われています。
6.アンナ・シュプレンゲル(ドイツ)
アンナ・シュプレンゲルは、秘密結社「黄金の夜明け団」の創設者とされる女性ですが、その存在は証明されていません。
黄金の夜明け団とは、19世紀末のイギリスに現れた魔術結社で、黒魔術、カバラ数秘術、聖書、古代エジプト宗教、新プラトン主義などのオカルト的な思想や儀式の研究・実践を行ったグループです。上流階級や知識人階級の間で大流行し、100名以上の会員を集める組織でした。後に組織はリーダー同士の反目から分裂し、「A∴O∴」「暁の星」「聖黄金の夜明け」という三つのグループに分裂し、次第に消滅していきました。
さて、黄金の夜明け団の創設者はウィリアム・ロバート・ウッドマン、ウィリアム・ウィン・ウェストコット、マグレガー・メイザースの三名のフリーメーソン会員なのですが、フリーメーソンは彼らの前にアンナ・シュプレンゲルという女性がいたと主張しました。
フリーメーソンのメンバーで魔術師と知られたウィリアム・ウィン・ウェストコットによると、アンナ・シュプレンゲルはニュルンベルクの生まれで、1886年頃に黄金の夜明け団を創設し、イギリス支部の支部長となったそうです。アンナ・スプレンゲルは後に団体の主要なリーダーになるマクレガー・メイザーズと接触し、イギリスで黄金の夜明け団のロッジを作る憲章をメイザーズに与え、権限を移譲したということです。
マクレガー・メイザース
しかしアンナ・シュプレンゲルという人物の存在は証言のみで、その存在はまったく確認されていません。
7. リチャード・アーゴール(イングランド)
イギリス・バッキンガムシャーのグレンビルコートにはブリットウェルコートとして知られる図書館があり、ここにはリチャード・アーゴールという人物が作ったとされる長編の詩が保管されています。
17世紀の歴史家アンソニー・ウッドの調査によると、リチャード・アーゴールはジェームズ1世の時代の詩人で、彼は祈りや瞑想、聖書などスピリチュアルなテーマの詩を書いていました。オリジナルはこの図書館でしか見つからず、他にコピーはないと思われていましたが、後にその作品のいくつかが、ロバート・アイレットという名の大法廷裁判官のクレジット入りで見つかりました。
ロバート・アイレットが本当の作者で、アーゴールは彼のペンネームだったのか、アイレットがアーガルの詩を盗んだのか、アーゴールがアイレットの詩を盗んだのか。そもそもアーゴールという男は実在したのか、全てが謎に包まれています。
まとめ
比較的日本では知られていない人物をピックアップしました。
過去記事でも同じネタで2つ書いていますので、こちらもご覧ください。
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