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亡くなった祖母の手作りベビードレスの話

 初めて子供を産んで、沢山の贈り物を頂いたけれども、一番驚いたのは母からもらったベビードレスだった。黄色の生地に、小さな蜜柑、りんご、葡萄の柄が散りばめられた柄で、花柄の青いボタンがついたベビードレスは随分と色褪せていた。明らかに新品ではなく、誰かのお古だった。かなり使い古された印象だったのは、私を含めた私の姉、兄の3人が赤ちゃんの時に着た30年前のドレスだったからだ。

「お姉ちゃんが生まれた時にね、前橋のおばあちゃんが作ってくれたの」

と母は言った。姉は第一子で、前橋のおばあちゃんにとっては初孫だった。私が驚いたのは、前橋のおばあちゃんは母から見たら姑で、母は父と20年前に離婚していたからだった。前橋のおばあちゃんは両親が離婚する6年くらい前に亡くなっている。離婚して、母は父との思い出のものはほとんど捨てたはずだと思っていた。私は驚いた顔をして、何も言わずに母の顔を見つめてしまった。思わず、「よく残してたね」と言うと、母は複雑な微笑みで「あなたのお父さんのことは嫌いだけど、お姑さんのことは別だから」と答えた。

「お兄ちゃんの子供たちには着せてないの。お嫁さんが大切に扱ってくれるとは限らないから、自分の娘が子供を産むまで待ってたのよ」

 私はその話を聞いて、そのベビードレスが母にとって大切な思い出の詰まった宝物なのだと思った。初めの子供が生まれて、3人の子供に着せたドレスを母は捨てられずに30年以上の間大切に保管していたのだ。離婚してから2回は引っ越したはずで、引っ越しの度に大切に運ばれて、私が子供を産むのを待っていたことを思うと胸の奥がじんわりと暖かくなる心地がした。

 姉が着て、兄が着て、私も着た新生児用の小さな黄色いベビードレス。初孫の誕生を喜んで祖母が作ってくれたお祝いは、祖母が亡くなっても時空を超えて私のところにやってきて、私の子供の誕生も祝福してくれているようだった。

 結婚して、子供ができて、かつて母が見てきた風景を私も追うようになって、母が歩んできた道の見方が変わってきた。母と祖母はどんな嫁姑関係だったのかは、私に託されたベビードレスがよく物語っていた。母と祖母は、きっと良い関係だったのだと思う。

 新生児の成長は本当にあっという間で、生まれて三ヶ月もするとサイズアウトして、すぐに着られなくなってしまった。母の大切な宝物を私が預かっていることは恐れ多くて、もしかしたら次に姉が子供を産むかもしれないし、私も第二子を産むかもしれないし、その時までまた母に預かってもらう事にした。


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