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水族館デビューに成功した話

息子が2歳児なって3ヶ月が経った頃、言葉が突然爆発した。3語文が繋がるようになって、コミュニケーションが驚くほど円滑になったのだ。何か要求があって、それを少ない語彙でなんとか伝えようとするのが何とも可愛らしい。

水族館に行きたいような要求も、息子なりの伝え方で私たちにプレゼンされた。私のダイエット用のトレーニングゴムチューブを引っ張り出し、お風呂に浮かべ、「おさかな!」と言ってはしゃぎ、「おっきい、おさかな、見たいねえ」と言ったのだ。息子が無垢な微笑みを浮かべながらおねだりするので、これは水族館に連れて行ってあげねばと思ったのである。

2歳になったばかりの時、動物園デビューだと勇んで混雑の激しい上野動物公園の予約を取って連れて行った事があった。あの時は猿、シロクマ、ペンギン、キリンにビビり散らかして、泣いて恐れ、ものの見事に失敗したのであった。苦労してチケットを手配し、上野まで連れて行ったのに泣かれてしまった徒労感は半端なく、最後はアイスクリームでご機嫌をとった。両親としては苦い思い出となったのだが、果たして水族館は行けるのか? できれば喜んで欲しい。本人もお魚見たいと言っているし、その夢を叶えてあげたいと思うのが親心というものだ。

家から近いこと、出産・育児で区から頂戴した子ども商品券が使えることから、すみだ水族館に行く事にした。とある冬の休日の九時半〜十時の入場でネットで整理券を予約する。朝起きて、ご飯を食べさせて、オムツを替えて、保湿して、着替えさせたりしたら、どんなに早くてもそんな時間になってしまうのだ。

当日の朝、目が覚めてご機嫌斜めの息子に「今日はお魚を見に行くんだよ」と声をかけた。寝ぼけている息子は「がっこ!」と言って抱っこをせがんで、私の上半身にタコみたいに足を吸いつかせて甘える。どうあってもママから離れないぞ!という、その温もりが、子どもが小さい時の幸せな記憶として自分に残るのだと思った。

慌ただしく洗濯機を回して、息子に朝ごはんを食べさせる。「おーぐると!」と息子はヨーグルトが欲しいとねだっていた。食べ終わって口の周りが白くヨーグルトで汚れていたのはいつもの事。

「今日は何を着せようか」と夫が言う側で、息子は「バス!バス!」と大好きなバスのトミカにじゃれていた。「バスの服はないから、消防車の服を着せようか」と私が言って、お気に入りのオレンジ色のズボンと消防車のトレーナを着せて、いざ出発準備。車で三十分くらいでソラマチに着いた。

立体駐車場からすみだ水族館入り口のあるフロアに行こうとするも、息子がエレベーターのボタンをポチポチとランダムで押してしまい、上に行きたいのに下のフロアに行ってしまう。もう悪さしないようにと息子を抱き上げて、エレベーターでじっとしていた。エレベーターには小学生くらいの子どもを二人連れた夫婦が乗り込んできて、奥さんは妊娠してるようでお腹が大きく膨らんでいた。三人も子どもを育てるなんて凄いなあと、まだ子どもが一人目の自分に謎の劣等感を抱えながら彼らを眺めていた。

エレベーターから降りて、水族館のある方向へとご機嫌良く歩いて、「ママ、てって、パパ、てって」と言って、息子が私と夫の二人に手を繋いで欲しいと言った。パパとママに挟まれて、両手が繋がれて歩くのが息子は好きなのだ。それが息子にとっての幸せの形の一つなのだろう。親子三人で仲良くエスカレーターに乗って、水族館の入り口を目指す。

水族館に入ると、リビングのソファくらいの大きさの水槽があって、綺麗にデザインされた水草と岩の中を小さなネオンテトラがピカピカと泳いでいた。これまで見た事ない大きな水槽を目の前に、息子は目を大きくキョロリンとさせて、パパに抱っこされながら、じっと見つめていた。お魚だね、と私たち両親が声をかけると、「おさかな!」と息子は嬉しそうにはにかんだ。

入り口から少し進んで、大人の身長よりも高い大きな水槽をじっと五分くらい見つめていて、動こうとしない。食べるのが好きな海老さんを見つけて、えびさんいたねと話しかける。子どもの目が輝く瞬間というのがあって、キラキラした水槽に夢中になった息子の目は間違いなく輝いていて美しかった。静かに感動に震えるような眼差しを見て、連れてきて良かったと思った。水族館デビューは出だしで成功だと、夫と二人で目を合わせて喜んだ。

「やだ!」と騒いだのは、クラゲの展示コーナーに入った時だった。全体的に暗く、水槽が青白くライトアップされる中、赤クラゲが細くて長い触手を水の中で漂わせていた。「こわい、やだ」という息子に、クラゲさん綺麗だよ、怖くないよと言っても、一度怖いとなってしまってはどうしようもなかった。夫が「ミズクラゲは毒ないよ」と言っても、2歳児に毒があるとかないとかは通用しない。クラゲコーナーを密かに楽しみにしていた私は息子を抱き抱えながら早足で次のコーナー急いだ。

次の展示は小笠原大水槽の二階部分で、小笠原の海を再現した、すみだ水族館で一番大きいらしい水槽だった。一番初めに目に入った、一番小さな水槽の窓から見えたエイ、シロワニ、ウツボに興奮した息子は、自分の身長よりもずっと大きい水槽に釘付けになって魚を見ていた。「おっきいねえ、おっきい、おさかな! すごいねえ」と何度も言って、見つめるばかりだった。もっと大きい窓があるよと、息子を誘導して、二階から一階に吹き抜けになって水槽全体が見える場所まで歩いていく。ちょうど目の高さに、サービス精神旺盛なシロワニが右に行ったり左に行ったり、ゆったりと泳いで見せていた。

もう行こうよと言っても、息子は小笠原大水槽に釘付けで、首を振って「まだまだ!」と離れない。後ろを振り返れば、一階のペンギンの水槽が見える。ペンギンさんいるよと声をかけても動く気配がなかった。

水槽の真ん中くらいに設置された岩の上に張り付いたまま動かなかった大きなエイがふわりと浮き上がり、下に沈んだり浮き上がったりする。水槽の底から空気の泡がボコボコと出てくる穴の側で寛いでる白い魚が揺れていた。黄色の魚の群れは、ずっと同じ場所で陣取っていて、水槽の中の小さな生態系が見てとれた。私は息子を抱っこしながら、水槽の底から泡が登って、泡が大きくなったり小さくなったりして水面の外に出るまでの様子を見ていた。

ほのかに暗い水族館の演出に、青白く輝いているような壁一面の大きな水槽。息子を抱いて、隣に夫がいる温かさに、何気ない日常の幸せを感じた。周りを見渡すと子連れの家族が多く、私たちが座っていた水槽全体を見渡せる椅子はきっと人気の場所で、他の家族からあそこに座りたいなあというオーラを肌で感じた。ここに座っているのも随分長く、三十分は経とうとしていた。他の家族に場所を譲るべきではと思ったのは夫も同じで、「ほら、あっちにも綺麗なお魚さんがいるよ」と振り返った先にある珊瑚礁の魚たちのコーナーへ夫が息子を抱っこして強制連行した。

珊瑚礁の色鮮やかな魚たちのコーナーをぐるりと回って、一階部分に降りていく小さな展示スペースでまたクラゲが出現する。クラゲが視界に入ると息子は「やだ!」と言って、私の体にぎゅっと強くつかまった。「クラゲ、きらい」と首を振って、顔を私の胸の辺りに擦り付けるのがまた可愛らしい。クラゲという言葉を覚えたのかと感心しながら足速に通り過ぎていく。トンネルを抜けるような二階から一階までの道のりは息子をずっと抱っこした状態だった。

一階にたどり着くとまた現れたのは小笠原大水槽で、息子は引き寄せられるように水槽の真前にあるソファに陣取り、ちょこんと座って、二階の天井部分まで繋がる大水槽を見上げる。時々ソファを離れて水槽の窓まで近づいて、キャッキャとはしゃいでは「おさかな、おっきいねえ」と満足気にしていた。小笠原大水槽は大のお気に入りで、また三十分ほどじーっと見つめていて、ゆったりとした時間の中海の世界に没頭し、私も海の中に潜っているような気分だった。

時間を見ると十一時になろうとしていて、すでに一時間半近く水族館にいたことがわかった。すぐに飽きてしまうかもしれないと思っていただけに、息子が夢中になって楽しんでいた事実は嬉しいことだった。駐車場の料金が少し気になり始めたこと、そろそろお昼ご飯を食べさせなければと焦り始め、そろそろ帰ろうかと息子に声をかける。

帰りは金魚の水槽、ペンギンの水槽に寄り道しながら歩いて行った。ペンギンの水槽は、ペンギンが流れるプールのような水槽をグルグルとロケットミサイルになってビュンビュン飛び跳ねていた。水飛沫を上げるペンギンの様子に少し驚きながらも、水槽に近づいてペンギンを観察し、興奮している眼差しを息子がむけていた。金魚の水槽は小さな息子の視線にもあっていて、抱っこしないで、自分の足で歩きながら金魚を見ていた。途中、オットセイのトンネルは怖がって入らなかったけれども、大満足の水族館デビューであった。

帰りの車の中、息子が「クラゲ、きらい! おさかな、すき!」と繰り返し話していて、クラゲは嫌だったけどお魚が沢山見れて楽しかったよという感想が話せるようになったのだなと息子の成長を喜んだ。また成長して、違う感想が聞けることが楽しみだなと思い、お昼ご飯をどこで食べようと夫と相談するのであった。

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