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2歳の息子と仏の座の蜜を吸ってみた話

子供の頃、道端に咲いていた花の蜜を吸ったことがあった。確か、同じ幼稚園に通っていた同級生が仏の座の花が甘いことを教えてくれたのだった。その同級生と一緒に、幼稚園の庭に咲いていた仏の座の蜜を吸い散らかしたことを覚えている。春の暖かな日差しの下で、紫色の小さな花を積んでは口の中に入れて、少しの冷たさの後に甘みを楽しんだ、平和な思い出。

そんなことを2歳の息子を連れて夫と義母と公園を散歩している時に思い出した。足元に仏の座が咲いていたのだ。アスファルトの隙間から力強く、十本ほどの紫の花が顔を出している。ちゃんと土のある公園の一角には、オオイヌノフグリが小さな青い花をポンポン咲かせており、ちょっとしたお花畑を作っていた。息子が2歳になって言葉を話し、理解するようになって初めての春だった。

わたしは仏の座を見て懐かしくなり、その場でしゃがんで息子に向かって「この花は甘いんだよ」と言って、紫色の小さな花弁をプツリと摘んで口の中に入れて見せた。ほんのりと、一点だけ僅かな甘さがあった。ほとんど甘さは感じられず、遠い記憶の中にあった口の中に広がる確かな甘さが幻のようだった。子供の頃は甘くて美味しくて、何度も繰り返して花の蜜を吸って、紫の花を撒き散らして興奮したと言うのに。大人の私には、なんとも味気なく「こんなはずではなかった」と拍子抜けしてしまった。

「甘いよ」という一言に息子は反応して、私の真似をして仏の座の花を摘んで、花の白いところを口に含み蜜を確かめる。息子は嬉しそうに「あまい!」と言って、すぐに新しい仏の座の花を見つけては、何度も蜜を吸った。目の前の仏の座の一群を吸い尽くすと、足元のアスファルトには紫の小さな花が沢山ばら撒かれている。かつて私が子供の頃に見た同じ風景だ。

息子はオオイヌノフグリを指差して、「青いの甘い?」と聞いてくる。花は甘いものなのかと確かめるようだった。夫が「青いのは甘くないよ」と答える。息子は新しい仏の座を見つけては、「ピンクのは甘い?」と私たちに聞いて、仏の座の花を口に入れては「あまい!」と言って喜んだ。子供の舌では仏の座のわずな蜜を楽しむことができるのだろう。大人になって、口の中の面積が広がり、それとも舌が鈍感になったのか。私はもう一度記憶の味を確かめるように花の蜜を吸ってみるが、かつて感じられたはずの甘さが分からなかった。

息子は目に見える範囲の仏の座の花の蜜を全て制覇し、彼の来た道は紫の花が所々に散っていた。息子にとってはピンクの花だけれども、春のお散歩の楽しみが新しく出来たようで、保育園の散歩で率先して花の蜜を吸いに行く息子の姿が想像できた。5月になったらツツジの花の蜜でも一緒に吸って見ようかと思った。

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