挫折した本に再挑戦してわかったこと
私の趣味は読書です。
この季節が来ると
子どもの頃に朝から自転車で図書館に行って、一日中本を読んでいたことを思い出します。
子どもの頃から週末は、家族で図書館に行くのがお約束。
今から考えると、決して裕福ではなかった我が家の絶好の娯楽でした。
私は、その本に囲まれた環境が、場所が好きでした。
当時はスマホやインターネットも普及していなかったし
選書は、その時目の合った本を読むことがほとんど。
けれど、やっぱりそれなりにハズレ(自分のその時求めていたものとは異なったり、面白いの価値観が異なる作品)に出会うことも多々。
最近ではインターネット上の口コミサイトやSNSの読書アカウントで本を調べてから本を手にとるのが習慣になりました。
そんな中で、インターネット上の評価や口コミが素晴らしい一冊の未読の小説を見かけました。
その作品は過去にも挑戦したけれどどうしても読めない、読めなかった一冊でした。
けれど私も年齢を重ねて、思考も変化成長している。
そして、今回改めてお迎えしました!
が、今回もやっぱり読めませんでした。
今回はそんな本との出会いから感じたことのお話。
最初は読めると思った
今回はインターネット上である程度、概要を掴んでから読み始めました。
それでもやっぱりページを捲れませんでした。
最初、数ページをめくってみたのですがやっぱり無理。
インターネット上の口コミも読んで気持ちを盛り上げてみましたが、何だか気持ちが乗り切れず挫折。
何なんでしょう、読めない本の入り込めないあの感覚。
苦痛でどうしても読み進めることができませんでした。
口コミ色メガネ
今、インターネット上にはあらゆる口コミや評価が何に対してもついています。
飲食店に病院、観光地、映画にドラマ、本などなど
先に経験した人たちのリアルな声がネット上にはたくさんあります。
けれど、それってどこまで信じられるものなんでしょうか?
誰の発言かというのもあるけれど
その口コミを知ることにどれだけの価値があるのでしょうか??
同じ映画や本を見て、友達同士で感想を言い合ったり共感すること。
それはとっても楽しいけれど
「面白いものだ」と思って見ると、その期待値から色眼鏡でみてしまいがち。
ちょっと強い言葉で言うなら「面白いと感じない自分はおかしい?」になってきてしまう気がしています。
自分の感性のままに
実は、今回この小説に挑戦したのは3回目。
3度目の正直でした。
どうしても、歴史や異世界や神話的なものが苦手なんです。
自分でわかっていつつも、人気作品の良さを自分も感じたくて手に取っては挫折。
いつか、いつの日にか、この本の良さがわかる日も来るかもしれません。
苦手な食べ物も調理法によって食べれるようになるように。
昔は嫌いだったピーマンが大人になって食べれるようになるように。
歳を重ねていくことで、好きも嫌いも変わっていく。
だからこそ、今この瞬間の好きも嫌いも大切にしたいです。
「前、好きだって言ってたじゃん!」って言われたら「変わったの!」って言えばいいだけ。
自分のその感覚は誰かに認めてもらうものでもないもの。
好きも嫌いも等身大の今の自分。
今回読めなかった本。
また十数年後に会いましょう。
その頃には仲良くなれたら嬉しいな。
その日が来るのが今から心待ちにしています。
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