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【スペイン北の道⑩】リュックを背負って山の中を歩くリアル 『赤いキリスト』の組織マネジメント

2023年8月の後半、カミーノ・デ・ノルテ「北の道」をサン・セバスチャンから歩きはじめて19日目の事でした。ひとつめの州であるバスク州の後半です。数日続いていた雨がようやくおさまった小雨の朝でした。
晴れてうれしい、予約していた山の中のアルベルゲ(巡礼者用宿泊所)にのんびりと歩いていました。だんだん晴れてきて、着ていた雨具もどんどん片付ける、ハイキングを楽しめる日になりました。
ランチで立ち寄ったバルレストラン。この地域では珍しく肌の黒いママのお店で、店内はずっと中米のミュージックビデオを見ることができます。

この3日間は、雨が続き買い物にも昼食も、精神的にぎりぎりで『食事』という状況ではなかったので、バルレストランでお昼定食を食べることにしました。メインのお肉は鶏か?豚か?牛か?とかきいてくれて、バル(立ち飲み)ではなく、奥の座って食べられるレストラン席に案内してくれました。

赤いキリスト チェ・ゲバラの写真を見ながら食べたランチ。

そこで恭しく飾られたいたのが、チェ・ゲバラ。ここでお目にかかるとは!戸数10戸の村、唯一の飲食店のこの部屋に「赤いキリスト チェ・ゲバラ」。部屋のいちばん奥にうやうやしく掲げられていました。

 私は、なんだかこれにアタってしまったようで、感情や知識の整理を何に向けていいかわからなくなってしまいました。
バスク州は、毎日どこかで『バスクに自由を』の看板や落書きが目に入る土地柄。いまなお、なぜこの人を崇拝する人がいるのか。それもスペインの山奥で。むしろスペインだから山奥で。

 いろいろ今すぐ知りたくなたったけれど、スペインではどうしようもないし、日本に帰ったら絶対読もうと楽しみにしていたのが「革命戦争回顧録」(チェ・ゲバラ)でした。

それまで私は「ゲリラ戦でキューバに革命をもたらしたけれど、カストロ議長とは道をわかれて、どっかの国でゲリラで死んだ」というようなざっくりした知識しか恥ずかしながらありませんでした。

私自身、スペイン巡礼路では10キロの荷物を背負って山の中、雨の中を歩いていましたので、チェ・ゲバラのゲリラ隊が60年前にキューバの山奥でスマホもGPSもない、食糧の確保すらおぼつかない中で歩いて、山に籠って、基地を作るって大変、どんな生活だったのかな?なんてシンプルな興味で読み始めたものでした。

私はお腹がすいたり、次の食糧の確保がはっきりしないと、歩く気分がダウンする、そして、ものごとを理論的に上手に考えられなくなるのがわかっていました。チェ・ゲバラとゲリラ隊は、自分自身の荷物のほかに、兵器も自力で歩いて運びます。歩くだけじゃなくて、そこで作戦を考えて、敵から身を隠し、食糧を確保する何もかも強靭です。

スペイン・雨の日の巡礼路

読み進めるうちにチェ・ゲバラとカストロのゲリラ隊が「言葉と理念によって、組織へのエンゲージメントを高め仲間を増やしていく」「ステークホルダーとの情報戦」「教育によって組織を強靭にしていく」、現代の組織論、リーダー論にも通じることが多いことが興味深かった。
チェ・ゲバラは私が生まれる前の年に、ボリビアで処刑されています。そんなに遠い世界や時代に生きていた人でもないのだなあ。

その最後の日々を描いたのが「ゲバラ日記」(1968)。荷物を運ぶためのラバや馬も空腹のため食べてしまう。水や道を探す先遣隊がボリビア政府軍に逮捕された末、敵方に情報が洩れる、あるいは戦闘でゲリラ兵がリュックは捨ててしまってボリビア政府にリュックの中にあった情報が洩れる。爆撃機による攻撃を恐れて夜の山の中の歩行もある。

私がフランスからスペインに歩いたほんの90日間のことですが「歩いて山の中を旅をする」、リュックの荷物を背負って道なき道を行く、荷物の重さや心細さ、雨で水びたしになる靴の冷たさ、そして空腹を共感できたような気がします。わたしは疲れたら何も書きたくなくなるのに、このゲバラのマメマメしい手記よ、この意志が強いっていうのがすごいよ。

そんなわけで、巡礼路から帰って来てからも、私に「考える何か」を残してくれた出会いでした。一連の著作など8冊も読んでしまった。

これは巡礼路体験そのものではなかったので、AmazonKindleで発売しているカミーノ・デ・コンポステラの著書には、このエピソードは入れませんでした。3巻のあたりで入ったバルのお話でした。この表紙の写真も雨仕様です。       

旅の写真は私のインスタグラムでもたくさん掲載しています。


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