見出し画像

賢者の祈り


「藤原新也作」

メメント・モリ(死を想え)だけでは不十分。メメント・ヴィータ(生を想え)これこそが最大の課題ではないでしょうか。

世田谷市場の隣に、広大な砧公園があり、その中に世田谷美術館があります。時々、仕入れに訪れた際に気になる展示をやっていると寄る場所。
魂が解放されるような清々しい所です。

昨日は藤原新也「祈り」展に行ってきました。写真家であり、書道家、画家、作家…様々な顔をもち、常に時代と向き合って活動されている人です。

優れた芸能芸術、名著と呼ばれ長く読み継がれている作品は魂を扱っています。だから、すんなり理解できなくて難しく感じられます。

それは、人間の愚かさというものでしょうか。なんでも頭で理解できる賢い生き物だと思っているからです。

今月の「文学と一花一葉講座」で取り上げるのは、今年を締めくくるにふさわしい一冊。宮澤賢治の注文の多い料理店。

「初版本の完全復刻版」

この本の誕生秘話から装幀、どのような時代背景で生まれた文学なのか…など、新たな視点でそのストーリーを稲垣先生が解説してくれます。

私は子供の頃、何度も何度も読んだ記憶があります。それは、面白かったからではなく、なんだか気持ちが悪かったからでした。それがなんなのかわからなかったからつい読んでしまう…

魂を題材にしているから考えてもわからなかったのでしょう。でも、あの頃から自我が育ち、わからない事に肝心なものがあると直感していた気がします。

挿絵の枯れたひまわりが気になりますねえ〜(稲垣先生の解説はいかに!?)。

12月8日と18日に開催します。

藤原新也さんの作品の根底にあるのは「祈り」です。祈る気持ちで写真を撮り、文字を綴っている。

宮澤賢治の文学にも魂を鎮める祈りのようなものを感じます。

その作品に触れ、私にできる事は「メメント・ヴィータ」を胸に刻む事。

キリスト教では、神は完全無欠なる存在だから人間を作ったと言う。苦しみからの解放という喜びを知りたいが為に。
そのように神は自分自身なのだから、自分を喜ばせることをせよという事です。

また、宮澤賢治が信仰した仏教にも、苦しみからの解放に幸あれという般若心経があります。

生きるということは、苦しみを解放して行く道を歩むことかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?